1月末日をもって、阿佐ヶ谷にあるポラン広場の八百屋『結(ゆい)』が店を閉じました。
結の木浪(通称ネコ)さんから届いた最後のメッセージには、
「結がやめると聞いたからと、遠くに引っ越しされたお客さんや、昔々のスタッフや生産者や製造者の方々が訪ねて来てくれたり、電話をくれたりしました。
本当にこの仕事はいい仕事だったと、あらためて確認でき、喜びでいっぱいです。この後、店の片付けがあるので、その時しみじみとした思いにひたるのかもしれませんが、今は35年間本当に面白かったと思っています」
と記されてありました。
ポラン広場の仲間としても、八百屋同士としても、最も親しくつき合ってきた結のネコさんとのエピソードを記して、壮行のメッセージとしたいと思います。
エピソードⅠ 話しなら店の外でやって!
当時、八百屋の仲間をふやすことを担当していたぼくは、「中野の野方にある自然食品店貝殻屋のスタッフから、仲間になりたいっていう電話があったゼ」ときいて出掛けていきました。
ところが、もう一人のスタッフから、「わたしはそんな話し聞いてないからネ。話したいなら店の外でやってよ!」と閉め出されてしまいました。それは、ネコさんとの最初の出会いでした。
その後、貝殻屋は八百屋の仲間になることを決め、阿佐ヶ谷に移転し、屋号も『結』としてスタートしました。
後で聞いた話しでは、移転資金が足りないので、大勝負の馬券を買って見事的中し、費用を捻出したそうです。
シングルマザーのネコさんと武市さんは、子供たちを交互に預かりながら、深夜トラックで仕入れに行き、店に戻って野菜をおろし、子供を引きとりにいく毎日でした。
エピソードⅡ わたしだってできてんだから、だいじょうぶよ
1983年、結、あひるの家をふくめ5グループでポラン広場を発足しました。発足の経過もあって、ポラン広場に出荷してくれる生産者や製造者や一緒に売ってくれる八百屋も、ほぼ皆無でした。
店には売る物がゼンゼンないのです。さあ大変!とグループ代表者は、店はスタッフにまかせ、今日は西、明日は東、明後日は北へと人伝てにきいた生産者を訪ね出荷をお願いしたり、八百屋志願者に会って「一緒にやろうゼ」と説得したりを繰り返していました。
ネコさんが大活躍したのは、不安と期待いっぱいの八百屋志願者たちと会ったとき。
「だいじょうぶよ。わたしだって小さい子供抱えながら八百屋やってるし、こんな風に出掛けてきてるし、八百屋だから食べていけますよ」と、売上げ状況など含めて話すと、安心した様子で志願者たちは八百屋さんを始めていったのです。
エピソードⅢ スリーデイズカンパニー(3DaysCompany)を目指そう
ポラン広場発足10年で、八百屋さんの数は50グループをこえ、地域も九州~北海道まで点在し、更に広がりつづけていました。
あひるの家 2店舗・レストラン・移動販売・宅配 スタッフ13名
結 2店舗・移動販売・リヤカー八百屋 スタッフ10名
と、仕事も販売の仕方も多様になっていったのですが、昼夜をわかたず働くということは変わっていませんでした。
ネコさんとぼくは話しました。
「働く環境を整えなくては、この仕事の持続性は難しい。世間並みに近づけていこう。そして、ゆくゆくは3日だけ八百屋をやって後は好きなことができる、そんな会社をつくってみよう」
ということで、結とあひるの家は合併して、(株)CUE(キュウ)を設立したのです。
ところが(株)CUEは3年ともちませんでした。急激に売上げがおちはじめ、次々と仕事の幅を縮小していかざるを得ませんでした。
残ったのは国立と阿佐ヶ谷の店舗と借り入れ金だけになりました。
「(株)CUEを解散して、各々再起をはかろう」ということになりました。
それ以降も販売は芳しくなく、ネコさんは三畳一間風呂ナシのアパート暮らしというところまでいくのです。
エピソードⅣ 再起をはかる
孤軍奮闘するも結果が出せないでいた結に現れたのが、息子のワタル君でした。
数字に強く、人あたりの良いワタル君は、お客さんの評判もよく、売上げも上昇していきました。
経費の一つ一つをチェックしグラフ化し、年間計画をたて、もっと買ってもらう工夫を考え3年。借り入れ金の増大に苦しみ、支払いに追われていた結は、3年を待たずに借り入れ金ゼロの店を達成するのでした。
ネコさんも風呂あり6畳間に引っ越し、ほっとしたのでした。
そんなある日、ネコさんは考えたのです。
「今が辞めどきかな。今なら誰にも迷惑かけずに辞められるしな……。ここまでにしようかな……。これからのことは、あとで考えればいいし」
そして、結は八百屋稼業35年の幕をおろしたのです。
2月9日(土)、ネコさんを囲んで、だんご3兄弟も加わって、わが家で餃子パーティーをやります。ネコさんの送別&壮行会です。
ネコさんはこの後、2月15日から1ヶ月、インド・ニューデリーの友人のところに行き、バックパッカーをやって来るそうです。
4月に帰国し、娘さんの出産(初孫)を手伝って、その後は……、何も決まっていないそうです。
ネコさんとはこれまでも、これからも、お互い刺激し合って生きていきたいと思います。