Author Archives: kano

まだまだ、あなたの声が聴きたい!あなたの声に応えたい!あひるアンケート実施中

たくさんのお客さんからの「声」があつまり嬉しい限りです。まるで「宿題」のように1時間ウンウンうなって書いてきたというお客さんもいました。
レジをしている時にお渡しいただいたアンケートはファイルしておいて、店が終わってから秘かに読むようにしています。「おまえヤメロ!」なんて書いてあったらやっぱりショックですから、心落ち着けてから読むようにしています。
今までいただいたアンケートの2~3を紹介すると

◇客に媚びない。たまに無愛想。それもいい

◇「○○は終わりました」というのは、今日品切れなのか、シーズンが終わったのか、わからないことがあるので伝えてください。

◇セールの時にPayPayやクレジットカードが使えるといいな。

◇おむすび屋高ちゃんの日、妻が買いに行くとガッカリされるので、「この日は私は行かない」と申しております。

◇レジをしている時、久美さんは後ろの人に声をかけてくれるのだけど、狩野さんは待たせているだけなので、後ろの人に申し訳ないです。

アンケートまってま~す。

★アンケートにお応えいただいた方には、あひるスタンプ10ポイントプレゼントいたします

福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク11周年記念トークイベント『12年目の福島と私』

いまだから語れることも いまだから語りにくくなっていることも 語りつくす

『12年目の福島と私』トークイベント

◇スピーカー:市村高志さん(『人間なき復興』著)

◇日時:6月19日(日)16:00~17:30

◇会場:KFまちかどホール(富士見台第一団地内)

◇参加費:1,000円

◇お申し込み・お問い合わせ:080-4351-1353(狩野) tanemakinet@gmail.com

全国各地に避難した富岡町住民の交流の場や、生活情報を交換する場として『とみおか子ども未来ネットワーク』や『とみおか未来会議』を起ちあげ活動。町・県・国などの行政の壁に妨げられたり、時とともに退潮する富岡住民の意識の変化に対応しながら今日に至っている。
抗い難い11年という歳月の変化の中、市村さんとともに私たちのこれからを話し合っていきたいと思います。
短い時間なので集中してやります。ご参加ください。

『語り継ぐ物語』 その2 王隠堂編 ~鬱蒼とした杉林を抜けると、天空の屋敷があらわれた~

奈良市内から車を走らせること2時間。
杉林の山道を行けども行けども民家の一軒も見あたらず、勿論電話ボックスなど見つかりようもないのです。
「もう帰ろうか?きっといたずら電話だったんだよ。腹へったし」
と、関西センターの関君と2人途方にくれていたのです。
「あの峠に出たら帰ろう」ということで、峠の頂に着くと、なんと広大な屋敷が出現したのです。
鳥居のような門構えの柱には「王隠堂」という大きな表札が掲げられていました。
中を覗くと奥まったところに平屋の家屋があり、庭一面に白い玉砂利が敷きつめられています。
重々しい引き戸を開けて、「スミマセ~ン、王隠堂さんいます~」と声をかけたのです。
玄関の壁には籠がつりさげられ、襖には毛筆で何やらしたためられています。
「は~い」声がして、渡り廊下を歩いてくる姿がみえました。
「政見からは伺っておりますので、柿畑にご案内します」と、モンペをはいた老女は王隠堂さんのお母さんでした。
山の中腹の柿畑では、作業着に地下足袋の王隠堂さんが、骨粉の混じった堆肥を柿の木の根元に敷きつめていました。
家への道々、梅林を通りながら「これは梅酒用、あれは梅干用ですわ」と指さしてくれるのですが、梅酒用は青いうちにとり、梅干用はそれを熟させたものと思っていたので、「そもそも木がちがうんだ」と初めて知ったのです。
家に戻ると食事が用意されていました。
素麺・山菜・川魚の天麩羅・香の物というメニューで、素麺のつゆは青竹を半分に割ったお椀でした。
「こういうのは上品にいただかなくちゃいけないんだろうな」と思いながらも、腹が減っていたので即完食でした。
屋敷の裏手の山々が一望できる縁台に座って話しをしたのです。
「王隠堂さんの敷地ってどの位あるんだい?」ときくと、腕を左から右にぐるりと回して「見えるところすべてです」と言うのです。
話しをきくと、700年余りつづく旧家で、南北朝時代に後醍醐天皇を匿ったことで「王隠堂」という名をいただいた、ということです。
「国産材の需要が激減して山仕事がなくなり、農作物も柿と梅と花梨位しか穫れないので、西吉野から若者たちがどんどん街に出ていってしまったんですわ」
「先日奈良新聞を見ていたら、『有機八百屋開店』の記事が出ていて、連絡させてもらったんですわ」
「傾斜地の多い村では、どうしても平地に比べ畑仕事も収穫量も厳しいものがあるので、何か特徴になるものがないか考えていたんですわ」
その横顔は、父親の急死で若くしてかつての大地主を継いだ並々ならぬ矜持を感じさせるものでした。
有機八百屋をはじめて3年の関君と私は32才、「西吉野を有機の里に」とチャレンジしようとしている王隠堂30才、ともに意気投合して山を下りたのです。
ふもとで食堂を見つけ、ラーメンの大盛りを食べたのは言うまでもありません。
その後、梅・柿・花梨は勿論のこと、梅ジャム・柿ジャム・花梨ジャム・梅シロップ・梅のどあめ・花梨あめ・柿チップ・柿せんべえ……と、ともに商品開発をすすめ、ポラン広場グループはこぞって販売に力を入れていったのです。
西吉野村に円型プールのような梅干の作業所をつくり、仕事をつくり出していったのです。
商品企画の半分は売れず、製造販売中止になっていくのだけど、売れ筋の商品を王隠堂は生協やデパート、スーパーへと売り込んでいったのです。
商品企画会議で山を下りてきた王隠堂はなかなか帰らないようで、よく家から「政見はいつ頃戻るんでしょうか?」と電話があり、ポランのスタッフも「スミマセン!会議が長びいていて」と電話を切るのだけど、「会議はおとつい終わってんじゃん。ミナミで政見見たってよ」ということもままあったりしました。
和歌山にも梅林を広げ、レストランもはじめ、「王隠堂ブランド」は広く信頼をあつめるようになっています。
そのはじまりが、あの日だったかもしれないと思うと、八百屋冥利に尽きる1日でした。

『語り継ぐ物語』のこと

あひるの家の商品棚には数多くの品物が商品として並べられています。
商品ひとつひとつには人の営みの積み重ねがあります。
こだわりやゆずれないものや守りたいことやすすめたいことなど、なかなか商品だけでは伝えられない一端でも知っていただけたらと思い、「物語」(不定期掲載)をはじめることにしました。
ちなみに『語り継ぐ物語』その1は、前々号のあひる通信「沖縄編」でした。
パン屋さん魚屋さん豆腐屋さんお百姓さん……皆さんの日々の営みと重ね合わせ、励みになるようなものが記せたらいいなと思います。

畑だより ―春から夏へ、畑はちょっと一休み。百姓はGWもなく駆け巡る―

あれ程蕾や黄色い可憐な花を咲かせていた菜花たちも終了にむかっています。
春キャベツ・春大根・春白菜・新かぶ・新ほうれん草・新小松菜と、春とか新のつく野菜がはじまり、キヌサヤエンドウ・スナップエンドウ・インゲン・空豆・たらの芽など、冬野菜から春夏野菜へ移行してきています。
ただ、全体としては収穫量が多くなく収穫時期も短いので、店内に潤沢に並ぶということはなさそうです。
「一度は食べておかなきゃ」というのが筍です。
栃木鹿沼の田島さんの裏山で採れた筍が届いています。昨年は大不作だったようで、1回限りの入荷でした。
昨年、あまりに来ないので「この後筍はどうなるんだ~」とFAXしたら、「わからないよ~、筍にきいてくれよ~」という返事でした。
「今年はどうだろう?まだ早いけどきいてみよう」とFAXしたら、5日後ド~ンと送られてきました。堀りたてウマソウです。
ただし2.5kg~300g位の大きさの筍が混載されています。雨・晴れ・雨・晴れのせいかデカイのです。
さっそく店にあるデカ鍋にヌカと唐辛子を入れゆでたのです。一昨日はチンジャオロースと厚揚げとカツオ節煮、ワカメと筍の味噌汁を楽しみ、昨日は筍御飯をいただきました。久し振りに3杯飯を食べ大満足でした。
筍は田島さんだけなので、あと1週間位だと思います。食べのがしのないように、ゆで筍も売ってますよ。
4月1日に海開きになった沖縄はもう初夏です。
石垣島・平安名さん(八重山ネットワーク)からパイナップルの登場です。ボゴール種(甘味が強く、手でちぎって食べられるのでスナックパインともいう)→ピーチ種(ほんのりピンク色で香りと甘味がおだやか)→ハワイ種(甘味と酸味があって味が濃い)の順番で出荷されてきます。
「子供の頃砂糖をかけて食べたよなあ」と懐かしい、今や珍しくなった酸っぱい夏みかん(甘夏の前身)が静岡の西山さんから少量入荷しています。「酸っぱいのスキ!」という人はキープしてください。
GWを境に八王子・キテレツファーム神田くん、神奈川・けのひ農場北原くんからキャベツ・大根・ブロッコリー・アスパラ・ネギ・レタス・サニーレタス・ロメインレタス・サラダケール・玉ねぎ・葉玉ねぎなどが一斉に出そうです。
だから百姓たちは収穫・苗づくり・定植・種まき・草とりに追われっぱなしで、もしかしたら1年で一番忙しい季節なのかもしれません。「GWに家族でどこかに行こうか?」などと考えもできないようです。
幸い(?)神田くんのところは妻と子供2人は広島の親の所に行ってるし、北原くんのところは3人の子供たちがサッカー・陸上・野球で日々が埋まっているようで、「朝~晩まで力一杯畑仕事ができる」と、やや疲れ気味の声で言っておりました。
前号でもお知らせしましたように、今季はハーブ・野菜の苗の販売はありません。
一手に引き受けていた茨城のハーブスマンこと福山くんが、体調不良で今季見送りということになりました。楽しみにしていた方、申し訳ありません。来季に期待しましょう。
ただし、長野飯田の吉沢くんからパセリの苗は出ます。それとキテレツファーム神田くんから、手がなくて畑に定植できないミニトマトやナスの苗が出るかもしれません。
天候不順、体調に気をつけましょう。
GW中も畑は休まず、お店も休まずやってま~す。野菜買いに来てください。

畑だより ―桜は散ったけど畑は春爛漫ですー

八王子・キテレツファーム神田くん、神奈川愛川町・けのひ農場北原くん祥ちゃんの畑では、春の野菜で満開です。
まずは蕾や花芽を一緒に楽しむ菜花がでてきています。
菜花といえば一般的なのは小松菜の菜花のことですが、同じ油菜科の白菜の菜花や、のらぼうも菜花といいます。茎は太目で葉はゴワゴワとした見た目ですが、おひたしや炒めたりするととっても軟らかくて味わいがあるのです。
おひたし・辛子和え・炒め物・汁の実などで黄色い花芽もきれいで、少し苦みもあったりして、「春だなぁ~」と楽しめます。
サラダケール・カーボロネロ(黒キャベツ)はサラダでもオリーブオイル・塩・コショウでサッと炒めても、トマトの煮込み料理にも合います。
最近発見したのですが、ケールや黒キャベツをちぎってお皿に並べ、塩をふってオリーブオイルをかけて、ラップはせずレンジで40秒加熱、パリパリのせんべえみたいになります。これが旨い!ほろ苦くていくらでも食べられます。
あとはサラダ春菊・ワサビ菜・新ほうれん草・新小松菜もはじまりました。春野菜は炒めすぎない、ゆですぎないのがポイントです。他には葉付大根・春キャベツ・ミニ白菜・小かぶなどがはじまっています。
珍しいところでは、山菜の一種行者ニンニク(アイヌネギ)が北海道から届きます。行者たちが行者ニンニクを食べながら三日三晩山中を歩いて修行したといわれています。炒めても焼いても、酢味噌和えにしても、ニンニクの香りがたって力をもらえます。
南の島々からはピーマン・インゲン・パプリカに加え、にがうり・ミニそら豆なども届きます。
果物は、イチゴ・キウイ・バナナ・甘夏・河内晩柑・ふじりんご・レモンに加え、グレープフルーツ・夏みかんと続きます。
心待ちにしている南伊豆の山本剛さんの黄金柑は、まだ便りがありません。もう少しお待ちください!
春の息吹を感じさせる野菜と食べると、新しいエネルギーが注がれたような気がします。さあ!春です!はじまりです!

畑だより ―南の島々との熱い出会いがはじまった話し―

神奈川・北原くん、八王子・神田くんの畑をはじめ、関東圏の畑は端境期真っ只中で、野菜も少なくなっています。
百姓たちは種播きや苗づくりに汗を流しているのですが、この初夏のような陽射しでブロッコリー・カリフラワー・葉物など一気に育っているようです。
そこで今回は閑話休題、青い空と碧い海、ふりそそぐ陽の光、南の島々とのはじまりのエピソードを紹介します。

エピソード(Ⅰ)国産無農薬バナナを復活しよう! ―鹿児島・徳之島への旅―

「わたしの歩いたところ以外は歩かないように」と木の枝で生い茂る草をかき分ける島に移住した奥田さんの後をついていくと、草むらの向こうに背丈2メートル位の草木があって、黄色く熟れたバナナがぶらさがっているのです。
子供の絵本などで、高い木の上にたわわなバナナが実っていると思い描いていたのですが、押せば倒れそうな草木でした。
奥田さんがもいでくれた島バナナを食べようと辺りの草むらに座りこんだら、「ハブがいるから立って食べて」と言われ、立ったまま口に入れたのです。
「なんだコレは!!」甘~い香りととろける口あたり、今まで一度も食べたことのない味わいです。完全にトリップしてしまったのです。海を見ながら奥田さんと「バナナをやろう!」という話しで盛りあがったのです。
『島バナナの会』というグループをつくって、奥田さんが島民の人たちを誘って栽培をひろげ、私達ポラン広場グループがその受け皿になるということを決めました。
その後3回程島を訪れ、ある時は「町長が一席設けているから」と宴席に招かれたのです。接待されるなんて初めてなので結構舞い上がってしまいました。
「徳之島は漁業と農業と観光で成り立っているのだけど、サトウキビ栽培に頼った農業は砂糖相場の暴落などで立ち行かなくなり、若者たちが島外に出ていってしまっている。そんな時、新しい農業を提案してくれ、島おこしを一緒にやってくれるというのは、こんな心強いことはない」と町長が挨拶し、「よろしく」と酒をついでくれたのです。
「エライことになっちゃったな。ただバナナがうまかっただけなのにな」と戸惑ったのですが、「やるしかないでしょ」ということで始まったのです。
島バナナを店頭で販売できたのは3~4回だけでした。実は、バナナが熟す時が台風の時期とドンピシャだったのです。
「さあ、出荷だ!」という時に台風が来て、根こそぎ倒されてしまうのです。窪地で栽培して風をよけようとしたのですが、ダメでした。『島バナナの会』からは1人また1人と抜けていったのです。
島バナナは断念して、台風の影響が受けにくい「土の下」の野菜にシフトしていったのです。
徳之島とのつき合いが始まったのが1986年ですから、15年余りが経った頃です。ネットのない時代でしたから、沖縄からの情報をキャッチすることはできませんでした。
そんな時、沖縄の那覇に『まめだ』という八百屋が始まり、ポラン広場からの出荷も始まったのです。
『まめだ』から発信があったのです。
「おれんとこにいろんな島から野菜をとってくれって連絡があったんだけど、一度来てくんない」と言うのです。
ポラン広場グループの野菜担当とネットワーク担当の私が、3泊4日の予定で島々を巡ることにしたのです。「まだ泳げるかもしれないな」と、水着をバッグにおしこんでいったのです。

エピソード(Ⅱ)島々を結ぶオーガニックアイランドネットワークをつくろう! ―沖縄本島・宮古島・石垣島・小浜島への旅―

本島では―

『まめだ』の吉祥くんが、北部何部の2ヶ所に場を設定してくれていました。
各々20名位が集まってくれていて、グループの紹介や野菜の作付け、流通の仕組みなどを話させていただき、質疑の後関心のある人に残ってもらい、その人の畑を見せてもらって具体的な作付に入るのです。
那覇の作本さんのところでみせてもらったトマト畑は、陽をサンサンと浴びて、10段位までとれるとのことでした。
養鶏をやっている吉富さんの鶏舎は海に面した傾斜地にあり、平飼いなのだけど密飼いという位鶏たちがいるのですが、鶏たちは穏やかで、肩の上に乗ったりします。吉富さんが言うには「丘の上の神社の土と海風が、鶏たちを穏やかに健康に育てている」ということです。
作本さんの所でも吉富さんの所でも、陽射しと風と土がとてつもない生命力を育んでいるのではないかと思ったものでした。

宮古島では―

空港を出ると、安仁屋さんをはじめ5人の百姓が2台の車で迎えに来てくれていました。
畑に向かう車中で彼等同士が話している言葉は一言もわかりません。完全に異国モードです。
マンゴー畑パッションフルーツ畑ドラゴンフルーツ畑と見せてもらうのだけど、見たことも食べたこともない果物だったので、よくわからないのです。いんげんとピーマンなどの野菜畑に行った時は、ほっとしたものでした。
畑のまわりの樹にすずなりになっているピンポン球位の黄色い実がなっていたので「これはなんだい」ときくと、「シークワーサーっていって、泡盛に入れるとうまいんだけど、ほとんど放置だな」ということで1個いただいて口にいれると、酸味があってほんのり甘いのです。
「レモンのない季節にこれをやるといいな」と言うと、「こんなん売れるのかなあ」と言うことです。
喋って喋ってついには飛行機内まで入りこんで、「おれの友達がスッチーだからダイジョーブなんだよ」とか言って、出発のアナウンスがあるまで掌を握りしめ話しつづけていたのです。

石垣島では―

平安名さんが迎えに来てくれ、さっそくパイナップル畑に連れていってもらいました。
何故か平安名さんは漁師が着るような胸まである厚手のゴムガッパ(?)姿なのです。
緑色のパイナップルがズラーッと並ぶ畑で話していると、畑の真ん中あたりに黄色く熟したパインがあるのです。
「あれ食べていい?」「どうぞどうぞ」と言うので畑に入っていこうとすると、背後から「ハブにきをつけて。おこすとかみつかれるよ」の一声。「早く言ってよぉ~」と退散したのです。
小さなパイナップル缶詰工場を見せてもらって、海辺の料亭で沖縄料理のフルコースをごちそうになりました。
「今は99%が輸入のパインだけど、国産パインを広げたいんだよ。沖縄でも石垣島だけにハワイからの風が吹いてくるので、一番旨いんだよ」と平安名さんは熱く語っていました。

小浜島では―

石垣島から船で30分位、『小浜タクシー』で迎えてくれたのは30才代の名越士くん。島めぐりをしながら「島には小中学校しかなく、高校生になると石垣島に行くしかなくて、若者たちがどんどん島外へ出ていってしまっていて、年寄りだけになってきているので、農業もままならなくなっている」とのこと。
名護士くんは鹿児島でラジオのDJなどをやりながら、夏に全国から「草刈り十字軍」的な催しをやって若者に来てもらったりしているとのこと。
かつて稼働していた島営の砂糖工場を見せてもらい、「砂糖とかゴマの栽培ができないかな」という話しをしていると、「ちょっと待っててくれる。明日島祭りがあって、子供たちに踊りを教えることになってんだ」ということで、中学校の体育館へ。
15名程の中学生と先生がいて、沖縄の謡曲に合せて舞うのです。足を高くあげると名護士くんのくつ下から親指が顔をのぞかせるのです。
床に座って謡曲を聴きながら開け放たれた窓の外を見ると、海がキラキラとどこまでも広がり、快い風が吹きこんでくるのです。
「天国に近い島」、そんな得も言われぬ幸せな気分でした。

沖縄の旅は、毎夜毎夜宴会でした。酒を飲めない私は毎夜毎夜ソーキそばを堪能していました。ただ、豚足・豚耳・緑や黄色のトロピカルな色合いの魚はどうもダメでした。
島々には、1人か2人は出荷先のあてがないのに有機農業を志す変わった人がいたのです。「おれの気持ちがわかってくれる流通と出会えるかも」という気持ちが、熱い出会いになったのです。
沖縄・徳之島からは新じゃが芋・新玉ねぎ・石川小芋(里芋)・きゅうり・トマト・ミニトマト・ピーマン・パプリカ・いんげん・シークワーサー・パッションフルーツ・パイナップル・マンゴー……などをいただいています。

新しくはじまる野菜は、のらぼう・白菜菜花・小松菜菜花・かき菜・花わさび・うど・春大根・春キャベツ・新さつま芋・新人参などで、果物はグレープフルーツ・夏みかん、甘夏・河内晩柑はまだ続きます。
今期はハーブスマン福山くんが体調を崩し、ハーブの苗・野菜の苗の出荷ができなくなってしまいました。楽しみにしていた人、申し訳ありません。福山くんの体調回復と来期に期待します。

(狩野)

畑だより ―いのちを授かる、戴く話しー

今年も2人の若手百姓の畑野の野菜がメインになります。
かといって、2月3月は冬野菜が終了に向かい、春夏野菜はまだまだという端境期(はざかいき)になります。ほうれん草・小松菜・キャベツ・大根・人参・里芋・ネギ位しかなく、これもまた少なくなっていきます。
今は春夏野菜の何を作ろうかの作付計画をたてたり、苗作りをしたり落葉を集めて堆肥作りが主な仕事になっています。
先日、八王子・キテレツファーム神田くんのところに2人目の女の子が産まれました。
名前は夏埜(かや)ちゃん。「埜の字が好きなので付けてみたかったんです。冬なので夏はないんだけど、無理やりですね」と神田くん。お姉ちゃんになった桧和(ひより)ちゃん2才も、妻の沙織ちゃんも元気にしているようです。
電話をかけると桧和ちゃんの元気な声がきこえてきます。「保育園がコロナ休園になって、遊んで遊んでとせがまれて、なかなか畑に出られなくてよわっています」とのこと。
切迫流産のおそれがあって沙織ちゃんが家を離れている間、お母さんの助けを借りつつも家事育児に追われ、夜風呂に浸っているとほぼ眠っている日々だったと言います。
新しいいのちを授かって、ただでさえマンパワーのない神田くんは、どう畑を切りもりしていくのか楽しみな1年です。
次はいのちを戴く体験・経験をした神奈川愛川町・けのひ農場の北原瞬くん祥ちゃんの話しです。
50羽の鶏を飼いはじめて1年半、「子供たちに生き物を育てる経験をさせたい」「畑の野菜を鶏に食べさせ、鶏フンを堆肥にして畑に敷き込む循環農業をやりたい」と生後5日目のヒナから飼いはじめ、はじめの頃は子供たちは寝袋を鶏舎に持ちこんで寝泊まりしていたそうです。
「2年後位だけど、卵を産まなくなった鶏たちはそうしようかね」と話すこともあって、“いのちを戴くセミナー”に2人で参加することになったのです。
農家の庭先には20名程が集まっていて、鶏が走り回っています。その中の1羽をつかまえてきて、首をギュッとひねるとグキッと骨の折れる音がして、地面におろすと首をグラグラさせながら走り回っているのです。
それから首を切って逆さにつるして血抜きをします。タライにお湯をはってえ、羽根をもぎとり、マナイタにのせて解体がはじまるのです。
「さあ、皆さんやってみてください」と言われ、つかまえた鶏と眼を合せないようにしてエイヤァ!と首をひねった時、腹の底から揺れるような胴ぶるいがおきて立っていられない位ヘナヘナとなってきて、隣にいた祥ちゃんの顔色は血の気が引いて真っ白だったそうです。
解体に入りはじめたとたん、あらわれてくる肉を見て「ウマソー」と思ったそうです。“生き物→食べ物”に自分の感覚が転換したということなのだろう、と北原くんは言います。部位に切り分けた肉を家族で食べたら、少し硬かったけど旨かったそうです。
その後、ケンタッキーのフライドチキンを食べる機会があったのだけど、40~50日の若鶏の肉はやわらかいけど、ブヨブヨして気持ち悪かったそうです。
「2年後位だけど、おれんとこでもそんなセミナーを子供も含めてやりたいと思ってるんです。今でも、鶏たちのあったかさや骨の折れる音や自分の手のふるえは思い出すなあ。スゴイ体験だったなあ」と北原くんは語っていました。
果物は豊富です。
この冬は寒さが厳しいせいか、どの果物も糖度がましてとてもおいしくなっています。
柑橘類は、みかん・ポンカン・不知火(デコポン)・伊予柑・甘夏で、もう少しすると南伊豆の山本剛さんから、待っている人も多い黄金柑が出ます。
りんご(王林・ふじ)・いちご・キウイフルーツも甘さがましています。
野菜は淋しくなっていきます。
沖縄・鹿児島など南の方からトマト・ミニトマト・インゲン・スナップエンドウ・ピーマン・菜花などが始まっていますが、少量です。どうやって野菜の棚を埋めようかの悩ましい季節です。
今年の冬はことさら寒いです。体調に気をつけて乗り切りましょう。

年末恒例スタッフご挨拶Part1

あと日めくりが5枚になりました
この八百屋の仕事でお気に入りの事は、朝一番でレジを開ける時なのです。
レジの画面は「客数0人、売上げ0円」になっています。なんだか、「今日もゼロから始まるんだ」と思うとワクワクしてくるのです。
始まってしまうとそんな感じも忘れてしまうのだけど、そんなゼロからはじまる日々を360回繰り返してきたのだなあと思うと、日々がいとおしく思えるのです。
1年が1日のように過ぎていく日々を10年余り送っているのですが、その前30年位は1日が1年のような日々に憧れていたように思えます。
1日がゼロから始まるのだということを、レジが教えてくれているように思うのです。
今年も1年お世話になりました。新しい年も、ゼロから始まる日々をご一緒に、元気のでるパフォーマンスをしていけたらと思います。
新年もよろしくお願いします。

狩野

畑だより ―年の瀬の野菜はおまかせください?!―

2週連続して催したキテレツファーム神田くん(八王子)けのひ農園北原くん(神奈川愛川)の店頭直売の際の野菜を見ても、どの野菜も見事に育って瑞々しく旨そうでした。
2人の百姓にとって、11年目の北原くん、4年目の神田くんにとって、この1年は大きな飛躍の年だったようです。
北原くんは近隣のお米農家や畜産農家とのつながりができて、物々交換がはじまり(例えば野菜・卵⇔鶏のエサにするお米・稲ワラ、野菜・卵⇔堆肥の原料となる牛フン)、在の人達とのつながりも拡がったそうです。
そんなつながりを紹介してくれた神奈川TVやタウン誌を観た人がお客さんになってくれたり、何よりも大きかったのが愛川町の給食に提供できるようになったことだと言います。
年間1,000万円の売上げというのは、百姓たちのひとつの目標なのですが、今年初めて超えそうだと嬉しそうでした。
そして何よりも、「ここ2~3年、野菜が安定的に育っているように思う。天候や技術や品目選定ということもあるけど、土ができてきたんだなあと実感するなあ。10年か~ぁ」と、しみじみと語っていました。
「課題は何?」と尋ねると、「ウ~ン、子育てかな。反抗期っていうのか、毎日バトルみたいで難しいもんだねえ、成長していくってことは」と、畑とは異なることに頭を悩ませていました。
4年目の神田くんは、安定とは程遠い状態(なにしろ、マンパワーが足りなすぎる)ですが、どの野菜も種を播いて、草取りや間引きをし、育てるところまでは出来るようになったと言います。
問題は収穫の適期に人手がなくて収穫できずに、小松菜が大松菜に、人参が人参木に、枝豆が大豆になってしまうことも多かったと言います。
それでも、地元のデパートから「地産地消」のオファーがあったり、学校給食からの引き合いがあったり、出荷している卸先からの流通で都心のデパート・スーパーにも並んでいるようです。
「課題は何?」と尋くと、「今は土作りと技を習得する時期なので、借りている畑を縮小することと、安定したマンパワーがほしいな。それと、今度2人目が予定されているのだけど、流産のおそれがあるということで妻が今家に居ないので、子供の保育園の送り迎えなど家事・育児にも追われ、結構バタバタな日々ですね」と笑っていました。
と、この2人を主に大根・キャベツ・白菜・小松菜・ほうれん草・春菊・かぶ・ブロッコリー・カリフラワー・里芋・八つ頭……豊富にありそうです。
お正月用三つ葉・ゆり根・セリなどは確認中です。
果物は、茨城かすみがうらの竹村さんからいちごが始まりました。寒さで色付きが芳しくないので、しばらく不定期の入荷になります。クリスマス前には安定してくると思うので、クリスマス予約受け付けます。今のところ農薬・化肥不使用で育っています(病気がでて散布するようなことがあったら、プライスカードに表示します)。甘酸っぱくて香りの良い、おいしいイチゴです。5月位まで続きます。
「こんなミカン食べたことがない!」と毎冬評判の瀬戸内海高根島の井場さんのミカン、今年もやってくれています。全体に小振り→超小振りですが、「これはウマイゼ!」と言っていただけると自信を持っておすすめします。
ただ唯一の不安材料なのは、ここもマンパワーがないので毎年みかん畑を縮小していることです。だから、いつ終了するのか見通せないのです(せめて年内あるといいね)。ある時に食べてください。
年内あと20日。積雪・大寒波は諦めるしかないですが、今の順調な成育が続くと年末野菜が足りなくなるのではないかと、いつもの事だけど気が揉めます。
「百姓の心構えで大切な事は、半分諦めて半分で一生懸命やる事だ」と言うことですから、百姓に連なりたいあひるの家も、あるがままを受け入れて年の瀬を迎えたいと思います。
本気寒くなりました。お体に気を付けて、あと少しです。

あひるの店先から ―年の瀬おいしいお届けしますお届けします―

今年もあと1ヶ月余りとなりました。
12月31日、今年も“あひるオリジナルおせち”をお届けすることができそうです。10年やってきた【みんなのおせち(笑月おせち)】をリセットして、全く新しいスタイルでみなさんに紹介することができました。
あひるのあひるらしさと言えば「つながりをかたちにする」ということなので、その集大成(?)を年の瀬にみなさんにお届けできるなんて、あひる冥利に尽きる幸せな気分です。
まずは、『たいやきやゆい』のはじめから10年余りのつき合いの由井君が、お店では出していない甘味6種を、技と気持ちを込めて作ってくれることになりました。予約でいっぱいのお店を閉めて、お正月甘味に力を注ぎます。
まだチラシも出来ていないのに、作れる数(30セット)の半分以上の申し込みが入ってしまっています。「由井君=ゼッタイにいいよね」の絶大な信頼は羨ましい限りです。
続いてお願いしたのは、2年余りのおつき合いになる韓国料理の玉ちゃんです。
毎週キムチは勿論チヂミやキンパなどの惣菜も楽しみにしてくれているお客さんも多く、そしてなによりも体型もふくめたふくよかな人柄は、「玉ちゃん」「玉ちゃん」と皆を魅きつけてやまないのです。
「やってみたかったのよ。韓国のお正月の家庭料理って紹介されることないでしょ。みんなに食べてもらいたかったのよ」
「わたしとしては是非やってみたいけど、お店(玉ちゃんの家)に帰ってスタッフの人たちと相談してみるね」
夕刻、「みんなに話したら大喜びで、バンザイした人もいたよ。年末はお店に泊まりこんでやる!と言ってる人もいたよ」ということで決定。
おせちラインナップを見ると、漁師直送の生かきや真鯛の姿焼きなど特別素材をふんだんに使いボリューム満点(玉ちゃん!採算考えてる?)旨そうなおせちになりました。玉ちゃんをはじめスタッフたちの前のめりな気持ちのこもった韓国家庭料理おせちを食べてみてください。
最後はフレンチシェフ小清水君の和洋おせちです。
由井君の紹介であひるを訪ねてきたのが6月でした。その後すぐ、富士見通りにある小清水君の調理場に行ってみました。1週間後、あひるスタッフ全員が揃っている時、小清水君が11種類の料理を持ってきてくれました。
最初に食べたのが【コーンスープ】で、口にしたとたんあひるスタッフ全員が「これはなんだ!こんなの食べたことがない!」と、驚愕と感嘆の声をあげたのです。
正直、コーンスープを口にする直前まで、あひるスタッフ全員が「フレンチなの?食べたことないよ。レストランにも行ったことないし」と完全に腰が引けていたのです。たった一口のコーンスープがコペルニクス的転回をおこしたのです。あと10種類の料理も、これまで味わったことのないおいしさでした。
サテ、このおいしさをお客さんにどう知ってもらったらいいのか、コペルニクス的転回にまきこまれたばかりのあひるスタッフに伝える力などある訳がないのです。それで、月1回小清水君が直接店頭で販売する事になりました。
24才の時、会社から「フランスへ行って腕をみがいてこい」と命じられ、3週間後に出発したのですが、フランス語は一言も喋れず状態なので生活も仕事も何も出来ず、毎日レストランのシェフからは「日本に帰れ」と言いつづけられ、泣きながら街の中を「1日10の言葉を覚えよう」と歩いたそうです。
仕事の上でも生活の上でもフランス語を喋れるようになったのは2年後で、その後2年計4年居たということです。
帰ってきてからは、都心のホテルやレストランのチーフシェフなどをやって、昨年「自分の住んでいるところでお店をやりたい」と退職・独立したのですが、コロナ禍でお店を開くまでに至っていないということです。
これまで「旨いものをガツンとガッと食べる」ということをしてきたぼくにとって、小清水君の料理の味は未経験のものでした。ガンヴァスに色を重ねるように手間をかけ手間をかけ、出来上がったものはシンプルでプレーンな味わい深いものになるのだということが少しわかったような気がします。この歳になって、こんな経験をさせてもらって得して気分です。新しい年に新しい発見から始められるかもしれません。
3人とのつながりを「おせち」というかたちで表現してみました。
たった10分の圏内の人たちと今年のおせちの企画ができたことを、あひるスタッフ全員が嬉しく思っているのです。皆さんも是非一緒に楽しんでください。

(狩野)