あひるの店先から

かつてを懐かしむ機会が続いています。
3週間程前にひょっこり店先にあらわれたのは、25年程前に7年程あひるのスタッフとして働いていた影山君(カゲさん)。当時20才代前半。その頃2店舗、トラック引き売りし、牛乳配達し、レストランしで、スタッフ・アルバイト総勢15名程。平均年齢30才。若手スタッフいわく、「熱気というより狂気に近い」という、爆発するエネルギーの日々でした。
小理屈の多いカゲさんは先輩たちにいじめられながら、店終了後毎夜くりひろげられる宴会にニコニコ加わり、丼飯3杯をほおばっていました。
今はあきる野市で一人百姓をやっているとのことです。
それから1週間後、店にのっそり、ひっそりあらわれたのは、35年程前に2年程リヤカー八百屋をやっていた小宇佐君。あひるの家が富士見通りでもやっていた2店舗時代でした。
長身、長髪、寡黙、目を合わせて話せないと、影が薄いというか「八百屋ムリだよ」と思わせる青年(20才代半ば)でした。
自己主張のかたまりみたいな八百屋仲間のなかで、ともかく目立たず、彼がいつ辞めたのかも思い出せません。
そんな小宇佐君、「なんとしてもリヤカーを引いて八百屋をやりたかったんだよ。人とつき合うことのできない自分を変えたくて。辞めたのは、前やっていた人の半分位に売り上げがなっちゃって、これはいくらなんでも申し訳ないと思って」、はじめてきく話しでした。あの小宇佐君が「リヤカーを引きたい!」なんて強い決意を持っていただなんて。
小宇佐君はその後介護の仕事をやって(介護されていた訳ではなく)、今は親のこともあって大分にいるそうです。
またしても1週間後、これは店にあらわれた訳ではなく、ポラン広場の農産担当からTELがあって、「狩野さん、大西さんて知ってますか?おつき合いしようと思ってるんだけど、元あひるのスタッフだときいたんで」
30年程前、筋骨隆々の大西君がリヤカー八百屋として加わりました。
長野富士見市で友人と2人で農業をやっていたのだけど、「有機農業研修と資金稼ぎ」ということでやってきました。
あひるの2Fで寝泊まりし、昼はあひるのリヤカー八百屋、夜は流通センターの集荷配送業務と、昼夜働きつづけていました。彼は空手家でもあったので、手カセ足カセ鉄アレイをつけてのリヤカー八百屋でした。
そして、あひるスタッフで百姓志願のトシちゃんを引っさらって(結婚)、富士見市に帰っていきました。
大西君は4トントラックで産地に集荷に行き、その帰り道モーテルでひと休みしたという強者でもありました。
来夏には大西君から野菜がでてくるかもしれません。
最後は2週間程前、世田谷下北沢にある『オルガン堂』(福島の有機農業を応援するショップ・レストラン)で話しをさせてもらったことです。
「野菜が食卓にのぼるまで」というタイトルで3時間程話しました。
「価格はどうやって決めるのか」「お百姓はどうやって見つけたのか」「八百屋さんはどうやってふえていったのか」「野菜だけだと思っていたら浄水器とか化粧品もあるのはどうして?」「放射能汚染の影響は?」と、活発な意見質問が出ました。20才~30才位の青年たち5人位でした。
一番の注目点は、「1年の間で、なぜリヤカー八百屋が15台になったのか?」「10年間で九州から北海道まで67店舗に拡がったのはどうしてだろう?」という、拡がりとつながりのことでした。
あの頃の躍動感を思い返しながらの3時間は至福でした。
と、幸せな1ヶ月でしたが、スタッフの一人によると、「みんな何か感じて会いに来たんじゃないの。もう一人来たらヤバイよ」と、おどかされてもいます。
あいつもこいつも来てほしい気もするけど、来ないでほしい気もし、複雑です。  

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