畑だより ―寒いので暖かいところの話しを―

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暖冬だったので、まだ茨城・栃木・神奈川など近辺の畑から野菜が出てきていますが、本格的な寒さが来ると、葉物類を除いて凍みて終了となってしまいます。
大根・キャベツ・ブロッコリー・カリフラワー・セロリ・レタスなど全て、暖流が流れこんでいる愛知県渥美半島の天恵グループからの出荷になります。
あたたかい海流と強い海風のせいで、寒いけど霜も雪もなく、おいしい野菜が育ちます。
そこで、あたたかいところの話しをします。
「なんで冬なのに、あひるさんにキュウリやトマトがあるの?」という声がきかれます。
プライスカードをごらんください。沖縄宮古島・石垣島・本島などと記されています。この正月25℃の日もあった沖縄は、早くも春~初夏に向かっています。
沖縄の島々のお百姓たちとつながったのは15年程前です。
それまでポラン広場グループは、鹿児島徳之島まではつながっていたのですが沖縄の情報は全くなく、産地形成ができませんでした(インターネットはなかったからね)。
那覇で小さな宅配グループができ、品物を送っている中、「各島に有機でやっている百姓がいるから来てくれよ」と、何度も催促がありました。
ポラン広場グループの農産担当とネットワーク担当の私が、45日で本当2カ所・宮古島・石垣島・小浜島のお百姓を訪ねていきました。9月下旬だったので、「まだ泳げる、ソーキソバが食える」と、水着をバックにつっこんで出掛けました。
集会所には10人程の人たちが集まってくれていて、ポラン広場のことや農産物の取り扱いのことなどを、スライドなどを使いながら話させてもらい、毎回12人関心のある人が残り、そのまま畑を見せてもらい、これからの作付の約束をして次の島に向かう旅でした。
まだ夏ということもあって陽射しは強く、作物は勢いが良く(トマトは10段目までとれる)、土は黒々と輝き、「沖縄はアツイ!」と思ったものです。
畑より熱かったのは百姓でした。
出発間際の機内まで入ってきて、「オレの友達がスチュワーデスやってっから大丈夫だよ」といい、両掌を握りながら話しつづけた宮古島。
「ハブがいるからきをつけて」と言いながらパイナップル畑にどんどん入っていき、自分は腰まである厚いゴム長をはいている。「どう気をつけたらいいんだよ」と腰が引けた石垣島。
「明日島祭りなので、ちょっと待ってて」と体育館で子供たちに踊りを教えていた青年百姓の靴下の指に穴があいていて、窓から吹きこむ海風と見守る先生の美しかった小浜島。
出荷先のあてのないまま有機農業をやっていた彼等にとって、私達の訪問は恋い焦がれた出会いだったのかもしれません。35年前ポラン広場発足時の、一人一人の百姓たちとのドラマチックな出会いを彷彿させるものでした。
以降、小さいながら北海道~沖縄までつながるポラン広場ネットワークができるのでした。
と、今回のお話しはここまで。
寒くなって甘味のました野菜を食べて、冬を乗り切りましょう。

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