『あひるの家の冒険物語』 第17話 最終章 ―あひるの家は続くけど『冒険物語』は終わります―

―読んでいただきありがとうございました―

あひるの家が始まって10年を迎えたところで『あひるの家の冒険物語』を終わりにしたいと思います。
今現在までその後30年余りあり、皆さんに知っていただきたいエピソードもたくさんあるのですが、どうしても記録的・説明的になってしまい、「社史」を記しているようで、時間の記憶に耽るワクワク感が持てそうにないのです。
「あひるってどうして始めたの?」というお客さんやスタッフの声がきっかけで、「そうだ、40年も経ったし、惚けるのももうすぐそうなので」と記しはじめたのです。
休みの日に数少ない資料や写真を引っぱりだして書きはじめるのです。1話書くのに10時間位かかりました。その半分の時間は、コーヒーを飲みながら「あの日、あの事、あの人」に思いを巡らすのです。
あの路地をリヤカーを引いて曲がった時の不安な心持ちや、プロジェクト・イシ採決会議のため国分寺北口のバス通りを歩いていた時の逃げだしたい気持ちや、ポラン広場全国大会の夜早稲田奉仕園で星を見ながら流した涙のあたたかさや、店先のテーブルに並べたまかない飯のホッケの香ばしい匂いや・・・・・・
まるで1枚1枚の日めくりをめくっているようでした。甦る「あの時」に浸れた至福の時間でした。

―それから30年が経ちました―

ポラン広場ネットワークⅠ ―ポラン広場ネットワークを全国へ!― 1983~1994

★ポラン広場が東京・埼玉・関西・北海道に続いて名古屋・九州・栃木・神奈川に発足する
(地域に有機農業の環をひろげる)

★ポラン広場に参加する流通販売グループは70グループを数え、その売上げ総額は50億円を超える
(ポランのほかに神はなし)

★ポラン広場の宅配を巡って10販売グループが脱退
(八百屋のポラン広場は終わった)

★1986年『ばななぼうと』をきっかけに、大地を守る会・グリーンコープ(九州)・生活クラブ生協・リサイクル運動市民の会・らでぃっしゅぼーやなどと『DEBANDA』協議会を発足させる
(学生時代被っていたヘルメットの色がわかるリーダーたちだった)

★『韓国自然農業中央会』との交流がはじまる。「軍事→民主」への政権移行期、若者たちが仕事や学業を辞して、「農業天下大基」を掲げる『自農会』に加わっていったソウルで『自然宅配』をスタートさせる
(詩人・金芝河を語った時の涙は60年安保の時の若者たちのようで、熱く清々しいものでした)

ぼくは「ポラン広場ネットワークを全国へ!」のポジション(ポラン広場全国事務局)を関君(関西・ビオマーケット)とともに20年余り担わせてもらいました。
地域ポラン広場の発足や流通販売グループの立ち上げなどに関わったり、ポラン広場のテーブルづくりを運営したり、生産者の作物別会議(トマト・りんご・みかん……)をサポートしたり、東へ!西へ!駆け巡る日々でした。
「ネットワーク型集団」というのは先例がなかったので、物事を決めるにも決め方の方法を発見していかなくてはなりませんでした。
「テーブルに権威をおく」「反論する関係を大切にする」「決定しないということを決定する」「他人という鏡を磨く」・・・、次のレールを継ぐために言葉があみ出されていったのです。
「オレが、わたしが、ポランだ!」と思うだけで、力が漲ってくるように思えた時代でした。

ポラン広場ネットワークⅡ ―分解・凍結するネットワーク― 1995~現在

★東京流通センター(株)夢市場がネットワークから離脱。『マザーズ』ブランドでデパ地下などでテナント販売を展開する。
国立にも販売店をオープン、昨年末閉店。2017年夏、(株)夢市場倒産、『マザーズ』売却。
(有機食品の新しいマーケットを拡げたが、継続ならなかった)

★九州流通センター(株)オーネット倒産 ―ビオマーケットがポラン広場の宅配を開始する―
(あひるの家の久木原君・東元君・鈴木君の3人が移住して立ち上げたのだけど、販売がひろがらず、2年程で断念。ほぼ戦わずに敗れた状態だった)

★名古屋流通センター(株)ポカラ倒産 ―ビオマーケットが流通販売事業を継続―
(自社ビルを建てたり隆盛を誇っていたのだけど、台風による浸水の影響が大きく、断念した)

★関西流通センター(株)ビオマーケットと埼玉流通センター(株)ECOが合併し、首都圏でのスーパー・デパートへの卸しを開始する
(地域主体のネットワークが崩壊する。(株)ECO取り引きを主にしていた生産者の不安が広がる)

★ポラン広場ネットワークが停止。以降、フリーズした状態が続く
(ともに囲むテーブルが消滅。個別事業体としてやっていく)

★北海道流通センター(株)HAVE札幌市場代表の笛木君自死。HAVE札幌市場、ポラン広場北海道から離脱
(笛木君はこちらに来るとぼくの家に泊まっていました。東スポとアサヒ芸能の愛読者で、エロイ記事は子供たちに見せられるものではありません。自死の理由は定かではありませんでした)

★2016年秋、(株)ビオマーケットが京阪電鉄グループの傘下に入り、関君は代表権のない会長に就任する
(経営の好転が見通せない中、事業の継続と社員の身分確保、生産者との安定的取り引きを考え、売却を決断したのだと思います。初め不安がっていた生産者から、「関の決断は正しかった」の安堵の声がきこえてくるようになりました)

★販売グループの廃業が続いています。70グループあった販売グループは20位になりました
(続く経営状態の悪化、自身の高齢化、継いでくれる者がいない、小さなオーガニックマーケットのパイの取り合い…、とても、とても淋しい限りです)

それからのあひるの家は…… 1988~現在

★昭島市東中神に新店舗をオープン。あひるの家の宅配を開始
(青梅・KIVAが羽村店を、阿佐ヶ谷・結が早稲田通り店をと、各グループが競うように広がりをつくっていきました。あひるの家のスタッフはアルバイトを含めて15名程になり、月売上げは1300万円位になっていました)

★阿佐ヶ谷・結と合併して(株)CUEを設立
(4店舗・1宅配・1レストラン・スタッフ20数名・月売上げ2100万円。給与・手当・休暇など労働改善を優先し、全体ミーティングで決定していきました。大幅な経費の拡大は、売上げの伸張を期待してのことでした)

★中神店・早稲田通り店を閉店
(2000年に入り、売上げの伸びがとまり、減少に向かっていきました。2店舗を閉め、経費削減をはかっていきました。わずか2年余りの展開でした。その頃、あひるの家のスタッフ3名が九州の新展開へ向け、結の3名が退職していきました)

★(株)CUE解散
(何も為し得ないまま3年で幕を下ろしました。つくづく、ぼくは代表者にはなれても、経営者にはなれないんだということが身にしみてわかったのです)

★ジャックと豆の木閉店
(料理の評価は高かったのですが、経営的には難しく、八百屋さんの稼ぎをつぎこんできたのですが、それもかなわなくなったのです)

★(有)あひるの家はじまる
(1店舗・久美さん、長坂君、朱君、ぼくの4人スタッフの再スタートになりました。何ができる?何がしたい?)

★店舗改装
(キタナイ!アブナイ!あひるの家と言われていたので、何よりもスタッフが行きたい店、いたい店にしようということで、光風林スタッフと設計施工のお手伝いをさせてもらいながら、お気に入りができたのです)

★販売イベントはじまる
(青梅・小山製菓の店頭みたらし団子焼きをきっかけに、毎週末生産者・製造者・メーカースタッフなどが店頭直売をはじめる。この頃、たいやきやゆいもはじまり、「たいやき100年」ということもあって、週2回お客さんがむらがっていました。魚屋さん海野君の店頭うなぎ焼きも大好評で、「今週はなに?」とお客さんも楽しみにしてくれました。販売イベントスタッフもお客さんと直接話せたり、もしかしたら業界で噂になっているという「朱君のまかない飯はウマイ!」を楽しみにしていたようです)

★あひるの学校を開校しました
(生活をもっと楽しもう!ということで里夏ちゃん円ちゃんの2人が担当。2ヶ月に1度位の割合で開校。味噌づくり、豆腐づくり、パン作り、料理教室、畑収穫祭・・・・・・、お客さんとワイワイ言いながら作ったり食べたりのワークショップをドンドンいきます)

★直送野菜・果物にシフトする
(販売イベントなどで顔なじみになった方もいらして、「北原君の野菜おいしいわね」「章さんのお米ちょうだい」「井場さんのみかんは小粒だけど味が濃い」と、名指しで購入してくれるお客さんもふえています。あひるの家は物売りじゃなくて人売り(?)をしたいのですから、これからも人→物→金の順番でつながりをつくっていきます)

★(有)あひるの家の代表が交代しました
(2018年3月、朱君が代表になりました。朱君、里夏ちゃん、円ちゃんによる新しいステージで、久美さんとぼくはサポート役になります。新たに雇用されたぼくに、「70才になっても働けるところがあるなんて、有難いと思わなくちゃ」と、長いつき合いの税理士さんに言われた時はムカッ!ときたのですが、しばらくすると「そうだね」と思ったのです)

これでおしまいです。
同時代を過ごした人達に会いたいという想いがつのっています。
3日3晩ホテルを借り切って、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいいし、誰と話してもいいし、話さないで部屋に居てもいいし、マイクを1本用意しておいて今のことを話してもいいし、あの頃のことを話してもいいし・・・・・・、そう、陽だまりの公園の「広場」のような集いができたらと妄想しています。
自らに語り継ぐ物語があったと思っています。
「広場」は実現できそうにありませんが、『冒険物語』を書くことでそう思えたことを嬉しく思います。
読んでくださり本当にありがとうございました。今度はお店でお会いしましょう。

 

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