神奈川愛川・北原くん一家のヨーロッパ旅行記②

 

シードルの杯かかげて ~有機農場を巡る旅 フランス編~

パリから特急列車に乗って3時間、フランス西部のブルターニュ地方の港町、サンマロにやってきました。
このあたりは冬の間はいつも灰色の空が広がっていて、寒々としているとのことでしたが、私たちが到着した日はたまたま晴れ渡り、美しい海が広がっていました。

この西の果ての街までやってきたのは、私たちの野菜を使ってくれている都内のフランス料理店のオーナーの友人がそこにいて、その友人のツテでこの地で活躍する有機農家を紹介してもらうためでした。つまり私たちの友人の友人の友人に会いにやってきたのです。今回の旅はそんな風にしてなりふり構わない感じで縁を手繰り寄せています。
そんなサンマロ近郊の畑で出会ったのは36歳、就農6年目という私たちと全く同じ年齢、キャリアの夫婦でした。
彼らは斬新な農業技術もさることながら、小屋、農業ハウス、暗室、直売所、動物飼育小屋だけでなく、オートメーションの播種機や自動サラダミックス機など、およそあったらいいなと思うものはすべて自作している強者でした。お金はないから自分で作る、ということを徹底しており、同じキャリアなのに立ち位置が全く違うことに愕然としました。

また彼は好奇心、向上心も旺盛で私たちに「日本で人気の野菜は?」とか「生姜の育て方は?」とかさまざまな質問を次から次へと投げかけてきました。
別れ際に「これからも情報交換していこう」と約束しました。遠く離れた地に仲間であり、目標であり、ライバルであるような農家ができたのでした。
そして私たちが彼と話しこんでいたちょうどその頃、子どもたちは同じ年くらいの彼の子どもと過ごしていました。もちろん共通語である英語で会話を、なんてことができるわけもなく、互いに言葉は通じず、肌や髪や目の色など、見た目すらもまったく違うというおよそ共通点のない中でなんとなく時間を過ごしていたようでした。
別れ際、長男がこの旅でお世話になった人に配るつもりで大量に折ってきていた折り紙の手裏剣を手渡しました。すると彼の目が輝き、「シュリケン!」と声を上げたのです。そう、フランス人の子どもでも手裏剣は日本の忍者の武器として認知されていたようなのです。
共通点を何一つ見いだせないままに過ごしていた彼らの間に、初めてコミュニケーションの糸がつながった瞬間でした。お互いの嬉しい気持ちが、その表情からも伝わってきて、私たち夫婦や彼ら夫婦も温かいまなざしでその様子を見守っていたのでした。

ブルターニュを後にし、最後に訪れたのはノルマンディー地方のサンローという小さな町にあるオーベルジュ(農家レストラン兼民宿)でした。
日本に13年間住み、日本語堪能な農家兼シェフのオーナーと、同じ敷地内で新規就農した20代の青年に案内され、畑や彼ら自身で建てた家や家畜の飼育場などを見て回りました。
彼らからは技術云々というよりも、その生き方、在り方をまさにまざまざと見せつけられました。「欲しいものは作る。買い物で済ませるのはつまらない。作れないようなものは別になくても困らないものだったりするものだ」と。

彼はまたフランスの学校給食のオーガニック化を進める活動家でもあり、いかにしてオーガニック化を進めるのかのアドバイスなどもしていただき、とても勉強になりました。
印象に残った言葉はいくつもありますが、「旅にお土産はいらない。技術をもって、訪れた地でその技術を使って喜んでもらいなさい。私ならフライパンと小麦粉をもって旅をし、行く先々でクレープを作ってふるまいます。日本人ならお茶をたててもいいでしょう。みんなそういったお土産で十分喜んでくれるものです」と言われました。

そして大人たちはシードルの杯を持ち、子どもたちはニワトコのジュースでそれぞれ乾杯。宴が始まりました。
夜も更けた頃、食堂の脇に置いてあったギターに目を付け、私は子どもたちに言いました。
「あれ、やるか。」「本当にやるの?」と長男と長女。「今やらないでいつやるのさ。恥ずかしいかもしれないけど、やって一生の思い出作ろうぜ」と私。妻も「そうだね」、と案外乗り気です。
妻と子どもたちをみんなの前に促し、あちこちで食器の鳴る音や話に花が咲いている宴のさなか、妻は英語で食堂のみんなに語りかけました。
「こんばんは、みなさん。今日は私たちが日本の歌を披露します。もし知っていたら、一緒に歌ってください!」
そういって私たちはフランスのシャンソンである「オーシャンゼリゼ」を日本語で歌い始めました。
最初、突如オーディエンスとなった食堂のフランス人たちはパラパラっとした手拍子をくれていたのですが、サビに入るとこの曲に気が付き、驚き、笑い、最後はみんなで合唱してくれ、たくさんの拍手をくれました。
そのクオリティはともかくとして、とてもいい思い出になりました。その頃3歳の次男はというと、ベンチで丸くなって眠っており、みんなでこの話をしても、なんのことなのかまったくわかっていません。

今回の旅では初めて食べた野菜、初めて出くわした技術など、イタリアでもフランスでも学びがたくさんありました。
しかしながら、一番実感として心に響いたのは、農民というのはこの地球のどこにいてもそれぞれの環境で等しく自然と向き合い、一生懸命汗を流しているという一見すると当たり前のようなことでした。
そしてどこの人たちもみな私たちがオーガニックファーマーだということだけで歓迎し、共感してくれました。やはり仲間に出会うということはそれだけでお互い嬉しいことなのです。テレビで見た陽気だった農民たちも、根は非常にまじめで、自然と真摯に向き合い、私たち日本人のそれとなんら変わることはなかったように思います。
新しく学んだ野菜や技術を具体的にこれからの畑に、ということももちろんありますが、彼らを通して感じた農家としての、農民としての在り方を自分なりに咀嚼し、体現していきたいということを一番に考えています。
動機は不純だったけれど、旅にでて本当によかった。色々な人たちに出会えてよかった。心からそう思っています。二度とない、一生ものの旅となりました。

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