今年も配達先のお客さんに「むらさき花だいこん」の種をもらいました。
「むらさき花だいこん」またの名を「紫金草」「平和の花」「いのちの花」。
「むらさき花だいこん」という名は、新日本出版社『むらさき花だいこん』(大門高子/文・松永禎郎/絵)という絵本での呼び名です。
『むらさき花だいこん』のあらすじを紹介します。
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大根の花に似た紫色の花が咲くこの花は、戦争が終わった後、日本の兵隊が中国から種を持って帰ってきました。
昭和10年を過ぎたころ、日本の政治家や軍人は、日本の国をアジアに広げるために戦争を始めました。日本が中国に戦争をしかけたのです。国民は、聖なる戦だと教えられ、お国のために、たくさんの兵隊が戦場に送られました。
絵本の中に日本人が中国人を殺戮する様子が描かれてます。日本の兵士たちは、だんだん人間の心をなくして、角のない鬼になっていきます。
けがをして野戦病院に運ばれた一人の兵士が、ある日、中国の女の子と出会います。女の子はその兵士にうすむらさきの花を差し出します。
日本では見たことのない花でした。心にしみて痛いような、美しい花でした。
兵士は思います。
「なんで戦争なんかやってるんだろ」
兵士は日本に帰ることになりました。帰る前にもう一度女の子と出会った場所へ行ってみると、あの紫色の花の種を見つけました。兵士は、この紫色の花の小さな命を日本に持ち帰ろうと思ったのでした。
長かった戦争は終わりましたが、兵士は戦地でのことを忘れることができませんでした。中国の人たちの叫び声が耳にこびりつき、悲しみの目が胸につきささってくるのです。
兵士は、戦争でなくなった人たちのために、中国の人たちにお詫びをするために、この花を咲かせようと思いました。
毎年、花を咲かせては種をとり、土手や空き地にひとりで、もくもくと、何も語らずに、種を蒔いていったのです。そして、家族でもこの種を蒔くようになり、全国にも平和を祈る気持ちをしるした手紙と一緒に種を送って、この平和の種を蒔き広めていきました。
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春、あひる壁面の花壇に「むらさき花だいこん」のきれいな紫色の花が咲く光景を思いながら、今日種を蒔きました。
こんばんは。昨日(9月22日)初めてお店にお伺いしました。「反農薬八百屋」というのが強烈すぎて、足を止めざるを得ませんでした。ご主人としばしお話させて頂きましたが、やはり予想通り哲学をお持ちの愛されるお人柄でした。
あかし様、むらさき花だいこんの種のお話、そしてあひる通信9月12日号の、あひるの店先から、のお話素晴らしくて感動しています。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
野嶋さま
コメントいただいているのに今きづきました、すみません。
「反農薬」は40年前の世代の名残で今はあひるでも誰も使っていませんが、インパクトがあるので看板の寿命がくるまではそのままにしておこうと思っています。
むらさき花だいこんの話しは、毎年種をくれるお客さんの受け売りですが、いかんせんお年寄りなので毎年同じ話しを聞かされて今ではそらで言えるようになりました、
長年お店をやっているといろんなお客さんとの出会いがあり、これからも楽しくやっていけそうです。
今後ともよろしくお願いします。
あかし
こんばんは!
いえいえ、ご返信ありがとうございます。あの看板は確かにインパクトありますね。私もあれに吸い寄せられるようにお店のほうに行ったので。。。
そうでしたか。素晴らしいお話ですよね。
お店がたくさんの方々に愛されているのが感じられました。
こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます!