3月5日~11日まで【さゆり米(福島喜多方熱塩加納町)】の『買ってください!食べてください!応援してください!SALE』をやりました。
熱塩加納の百姓たちや米屋さんからはこれまで何度もメッセージや放射能検査の結果報告(不検出)などが届いていました。メッセージの末尾にはいつも「このような現状をご理解いただいて、ご協力お願い致します」と結ばれていました。今回は違いました。以下に記されているように、追いつめられている状況が伝わるメッセージでした。
「太い絆をさらに太く」 原 源一(生産者緑と太陽の会代表)
・・・会津地方は原発から100km以上離れており、近隣を含め放射性物質はほとんどありませんでした。地域として300地点で検査をしましたが全ての地点で[不検出]という結果でした。お米は刈り取り前、出荷前の検査でも[不検出]でした。これらの細かいデータ全てを提示しても、さゆり米をはじめとした会津のお米は敬遠され、殆んど動いていない現状です。
・・・福島で発電された電気は地元では使われず、全て関東首都圏に送電されていました。首都圏の人々はそれで快適な生活を営んでこられた訳です。何一つ恩恵を受けてこなかった私達が何故、放射能汚染と風評被害の二重の苦しみを味わわなければいけないのでしょうか?
30年間、皆さんとともにつくってきた太い絆がどんどん細くなって、今や消えていってしまうのではないかとやり切れない気持ちです。
季節は春に向かっています。今年の田植えをどうしたらいいのか、苦しみがますばかりです・・・
「有機農業30年の歴史が消えてしまうことの無いよう、誇りと希望をもって米づくりを続けられるよう、応援してください」 蔵野 浩伸(米屋中村商店スタッフ)
福島県は
浜通り:地震・津波・放射能に見舞われ、未だ生活のめどがたたない地域
中通り:地震の被害と阿武隈山地西斜面で高い放射能汚染にあった地域
会津:目立った被害もなく、放射能汚染も関東の低い地域と同レベルの地域 の三地域に分けられます。
福島が元気をとり戻していくには、被害の少なかった会津地域が元気にならないと、福島全滅となりかねません。
そのためにもさゆり米の復活は大切なことだと思っています。
30年に亘り熱塩加納町の米づくりをともに担ってきた私達米屋中村商店としても、「なんとしても」の気概でいますが、例年の3割~4割の販売量に愕然としています。
我々が消費者にどんなメッセージを送りつづけても、なかなか聞いてもらえない、或いは声の聞こえないところに去って行ってしまったのではないかと思ってしまうのです。
でも心を奮い立たせて、来週から熱塩加納町の田んぼで使ってもらう堆肥作りを茨城で始めます。
「この秋、笑顔で収穫を迎えたい」一念でやっていこうと思いますので、ご協力お願い致します。
あひるの家でも同じ状況で同じ心境でもありました。「ダメかもしれない」と思いながらも応援SALEを企画しました。
ところが、始めてみるとたくさんのお客さんが「応援するわ」「お百姓さんには頑張ってもらわなけりゃね」「これからもさゆり米でいくわ」と購入してくださり、友人・知人に送ってくださる方もいらっしゃいました。胸がつまり涙があふれてきました。
「たくさんの方々が応援してくださっている」旨蔵野さん(米屋)に伝え、原さん(百姓)にも伝えてくれるよう連絡しました(原さんとは3月下旬、東京に出てきた時にお会いすることになりました)。
販売量は通常一週間の10倍位になりました。本当にありがとうございました。「希望はある」と確信しました。
一方、このような事もありました。
いつも明るくお買い物をしてくれている、小さなお子さんのいるお母さんが涙を流したのです。
『さゆり米SALE』のチラシを渡しながら百姓のことをなどを話している時、「わかるんですけど・・・応援したい気持ちはあるんですけど・・・子供がいると万一の事を考えると避けてしまうんです・・・」
丁度その時2階からあひるスタッフの久美さんと里夏ちゃんが下りてきて、「どうしたの?!」「何を言ったんですか?!」と私が詰問されることになってしまって、「またかよ」みたいなスタッフの雰囲気で場は和んだ訳です。
親も苦しんでいることがよくわかったやりとりでした。
これまで有機農業や百姓たちを応援されてきた人たちの多くが、その心持ちを抱きながら、現実の放射能汚染の不安におびやかされるといった葛藤の中にいるのだと思います。
本来、ともに力を合わせ、心を重ね合わせることができる人たちが、ともに苦しんで解決の術を持てないでいる現実は辛いものです。
あひるの家は放射能検査の結果を開示し、生産者の状況に寄りそい、お客さんの不安に寄りそいつづけるといった、時には相反する現実の中で歩んでいきたいと思います。
「正しく戦って正しく負ける」そんな言葉が浮かびました。 (狩野)