あひるの店先から

先日おふくろが亡くなりました。96才でした。
43年前、おふくろとおやじは短い間だったけど国立に住んでいたことがありました。丁度その頃、私が勤めを辞め“八百屋”をはじめた時でした。
おやじは「なに!八百屋だって!それもリヤカーを引いてって、なんなんだ!子供が2人もいるのに」と怒って、しばらくの間“出入禁止”になってしまいました。
はじめた私自身「なんでこんなことはじめたんだろう?これからどうするんだろう?」と思っていたので、全く説得力はありませんでした。
おふくろもきっと同じ気持ちだったのだと思いますが、おやじの目を盗んでよく手伝いに来てくれました。
特に朝、野菜の到着が遅れるとリヤカーに積み込んで出発するのに精一杯で、片付ける手間がありません。放りっぱなしの野菜を倉庫にしまったり、周りをはいたり、干しきれなかった洗濯物を干してくれたり、時々昼食用のおむすびを握ってきてくれたりしました。
片付けが終わるとお茶をいれて、レコードをかけてひと休みしてから家に帰っていったとのことでした。
この時のことを俳句や文章にして、新聞などに投稿していたようです。
埼玉に引っ越し、おやじが亡くなり、20年余り姉と孫との3人の暮らしが続いていました。
4ヶ月前位に突然身心の不調が生じ、老人施設に入所しました。この時、3人の間で深いわだかまりが残りました。コロナ禍もあってなかなか面会もかなわず、わだかまりが積み重ね合っていきました。
3月末「肺に水がたまって体のむくみもヒドイ」と連絡があり、施設スタッフとともに呼吸器専門病院で診てもらったら、「水を抜きましょう」ということで入院することになりました。
ところが、病院の事情で待合室で6時間も待たされることになったのです。近くのスーパーからのりまき・おいなりさん・お茶・アイスクリーム・お菓子などを買ってきて食べたのです。
同行してくれた施設スタッフが驚く程よく食べ、よく喋り、表情も穏やかで、「こんなに世話になってありがとうね」「元気になって家に帰るからね」「たくさん食べて元気になろうね」と、3人の会話が弾んだそうです。
その夜は普通に寝たのですが、翌早朝意識混濁におちいり亡くなったのです。
あの不測の6時間“最後の晩餐”は“天の采配”だったのではないかと思うのです。
あれから2週間、夕方お店の電話が鳴ると、「ウン?そうか」と思うことがあります。夕方よく電話をかけてきたことを思い出すのです。

(狩野)

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