第2章で、たとえ築地であってもというか築地だからこそ、漁の仕方、運搬の方法、保管の仕方によって多種多様な魚が並べられており、それをいかに短い時間に見抜いて良い魚を仕入れられるかが「毎日ショーブです」という話をしましたが、じゃあ一体どうやって見抜くのかということになりますよね。
いくつかのポイントを上げると、まず魚のエラブタを開いてみて真っ赤だと鮮度がいいのです。血がにじんでいる訳ですから、古くなるとくすんできて茶色になってきます。ただ水氷に入っていると、やや白くふやけているので判断が難しいものもあります。
次はなんといってもお腹がぷっくりふくらんで固いことです。死んだばかりの魚は死後硬直して身がしまっています。時間が経つにしたがって身がゆるんでダレてきます。ぷっくりしているのは脂ののりがよくておいしいということです。
前回お話しした水氷にミョウバンを入れて氷点を下げて“鮮度抜群”の固さに見せるダマシのテクニックはあるのですが、お腹の厚みを装うことはできません。更に、ミョウバンを入れた魚は眼の奥が凍っていて白くなっているのです。鮮度のいい魚の眼は透明でくもりがないのです。
もう一つの見分け方は一番カンタンなのですが、仲買人からとってもイヤーナ顔をされたり、時々怒鳴られたりもしますが、魚の尻尾を持ってつり下げてみてピーンと張っていたら新しいし、ダラーッとしたら古くなっているということです。
そんなことをチェックポイントにしながら、朝2時間1000軒余りの仲買人の店を見て回り仕入れるのはなかなか忙しいのですが、とても緊張感があって好きです。築地に行かないでFAXの情報で仕入れをする魚屋もふえていると聞きますが、魚屋の面白さの半分以上は築地での時間にあると思っています。
生意気言うようですが、街から魚屋さんが消えていってる一つの、そして大きな要因は、“自分で選んだ魚を売る楽しさ”を失ったからではないかと思います。確かにスーパーに圧されたり、消費者の魚離れって大きなことなのだし、ぼくのような一介の魚屋がどうともできないことなのだけど、“魚屋はオモシロイ”と思っているぼくには“オモシロクナイ魚屋をやっている魚屋”のことが気になって仕方ありません。
あひるの家で魚を売らしていただいて8年が経ちます。きっかけは中学の先輩でもある和菓子屋小山さんから、「国立のあひるの家ってところが魚屋をさがしてるゾ」という話しを聞いて、こっそり行ってみたのがはじまりです。
もっと大きな店を想像していたのですが小さい店でした。買い物している振りをしていると、お店の人とお客さんが話しをしているのがきこえたのです。「今日はトマトはないよ、まだ季節じゃないからね」ということをお店の人が言って、お客さんも「そうだわよね、まだ夏じゃないものね」と話しているのです。
その時ぼくは「こんな店で魚屋をやりたい」と思ったのです。
今もそうですが、築地に行く時「何を買おう」と決めないのです。「今日もいいものを買おう」と思っているだけです。だから品物の割には値が高かったり、納得がいかないものは仕入れないのです。「品物を揃えなきゃ」と思っていると良くないものを買ってしまうし、足許をみられて値段交渉にも負けていいことないのです。
だから、ぼくの店(青梅)のお客さんには「アレもない、コレもない」と言われっぱなしです。
“ないことを堂々と言えて、ある品物をアピールできる”、そんな店にあひるの家は思えたのです。
その通りでした。あひるの家のお客さんは、ぼくが持っていくちょっと珍しくておいしい魚を、「お兄ちゃんがそう言うなら食べてみようかな」と買ってくれ、翌週「おいしかったよ」と言ってくれた時、魚屋冥利につきるのです。
あひるの家のお客さんは実にチャレンジ精神に豊んでいて、いい食材を探しながら買い物を(生活を)楽しんでいらっしゃるように思えます。魚屋としてもとっても張り合いがあるし、同じ生活者としてもこんな風に生活を楽しんでいきたいと思わせる方々ばかりです。週に一度あひるの家で魚屋をやらしてもらうのが楽しみなのです。
3日間にわたって再掲載してきた『魚屋さん海野君のおいしい魚が届くまで物語』はこれにて終了となります。
いよいよ6月13日(日)から、お兄さん海野くんの元で魚屋修行2年目の海野マサトヨくんによる「第二・四日曜日は海野水産あひるの家支店」が開店します。
筑地市場が豊洲市場にかわり、兄貴から弟に引き継がれ、長く続いている「日曜日は魚の日」の第二幕がスタートします。
「ビシビシ鍛えてやってください」というお兄さん海野くんの期待に応えるために、第二・四日曜日は海野マサトヨくんに会いに来てください。
何年かしたら『魚屋さんマサトヨくんのおいしい魚が届くまで物語令和版』が発行できるといいですね~。