“どちらともいえない”ということを大切に
この1年、とてもイヤな気分にさせられる事が多かったなと思います。
何だか今までそうでもなかった事が露わになって、むきだしの感情が大手をふって徘徊しはじめたような気がします。
欺瞞の装いより虚飾をかなぐり捨てた「本音」の方がいいことはいいのですが、「本音」に共通しているのが「敵か味方か」「賛成か反対か」の二分法で峻別するやり方です。「味方でない者は敵」で「賛成でない者は反逆者」で、そういう奴はやっつけていいというアピールが支持を集めているようです。「ほんとうかよ?どうしたんだよ?」とききたくなります。
だって、夜と昼があって1日というんだし、春夏秋冬の四季があって1年というのだし、甘さと辛さが手をたずさえて旨さがでるのだし、男と女がいて人間というのだし、クレヨンだって24色ある訳だし…
全ての物事は相反するものが連動して成立しているのに、真昼だけの1日、真夏だけの1年なんてある訳ねえじゃないかと思います。
更に、相手を「敵」として決めつけるには、自分に「絶対的正義(真理)」がなくてはいけません。そんな奴いません。嘘ツキです。
「あっちも、こっちも、どっちもいいような気がするし、ダメなような気もするけど、今回はとりあえずこっちかな」の繰り返しで生きてきているのじゃないでしょうか。
お百姓が語った言葉で、「おれたちの仕事って、自分のおもうようにはいかない訳だよ。だから、おれは半分諦めて、半分で一生懸命やる。そんな気持ちでいるから、やれるんだと思う」。こういう百姓が作った野菜を皆様に届けられるのは、八百屋冥利に尽きます。
八百屋とは直接関係のない話しになってしまいましたが、これからも「どちらともいえないけど… どうしよう… じゃあ今回はとりあえずこうする」みたいな事が話せるお店としてやっていきたいと思います。
ありがとうございました。
狩野