お年玉代わりに「ちょっと若気のお話しを…」

いつもいつもお客さんやその子供たちに、「なんであひるの家って言うの?」「あひる、いないじゃん」「カエルじゃダメなの?」と尋かれ、「今散歩中でいないんだよ」とか「ワァワァガァガァうるさいからじゃねえか」とか「もっと気分が乗ったらな」とかごまかしてきた「なんであひるなの」に、まっとうにお答えします。

時は1978年、不良公務員生活6年3ヶ月、29才の私は「30才になる前にもっとマジな生き方を見つけなきゃ」と大いに焦っていたのです。そんな時ひょんな縁で、“一球勝負、一発逆転”みたいな気持ちで、リヤカー八百屋になることを決意したのです。
それも、その年の9月5日に始め、翌年9月4日に終わる期間限定八百屋としてスタートしたのです。
何故って、「野菜も農業もお金も力仕事もおばちゃんもヒッピーも大キライ!!」だった私にとって、それは修行のようなものだったからです。
始めるにあたって、やっぱり例えリヤカー八百屋でも屋号がいるでしょうと思った訳です。かといって、八百強とか安全八百屋というのもしっくりこない、どうしよう… なににしよう…
その頃、アメリカの作家でエリカ・ジョングの『翔ぶのがこわい』(注:正確には『飛ぶのが怖い』)という小説があって、「翔ぶ」という言葉がはやっていました。「そうだ、おれはリヤカーを引いて地を這うことで翔ぼうとしているんだ」と思った訳です。翔べないオレ → 翔べるオレ → 鳥なのに翔べないアヒル → 空を翔ぶアヒル と連想ゲームはつながったのです。

「空を翔ぶアヒルになりたい!」

それが答えです。「なあ~んだ」と言うな!だから言いたくなかったんだ。

2017年1月6日 あひるの家代表 狩野 強(明日が69才の誕生日)

kanban

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