こんなに早い時期の積雪。雪への備えの少ない地域の方々のみならず、北日本の人々もどんなに大変かと思います。
そんな荒天を伝えるニュースに何度か表示された地名。「あっ、留萌だ」「えっ、黄金岬?」
私の生まれた街です。幼い頃しか暮らしていなかったので、思い出せるのは指10本で足りるくらいのこと。
ほんの一瞬の、荒れた海の映像だったけれど、幼い日の記憶が浮かんできました。
札幌からきた従姉妹たち家族と海水浴に行ったのが黄金岬。陽であたたまった岩に腰かけた、いい笑顔の写真があったはずだ。
雨の後のぬかるみ。母と一緒に大事な用のために歩いていたのに、足だけ抜けてしまって、どろんこになってしまった坂の下のあの道。
ゴザを敷いて遊ぶのが大好きだった、大きな木陰をつくってくれたニセアカシアの木は、家の前にありました。
懐かしい断片が浮かんできて、幼い自分や若い両親、家族、賑やかな街がありました。糸でつながっているように、いろんなことが思い出されます。
そうだ、次に札幌の帰ったときには留萌まで行ってみよう。
あの道、あの木をもう一度見てみたい。
おぼろな記憶だけが頼りで、案内してくれる人もいないけれど、きっとたどりつけると思うのです。
さあ、2015年へ。よいお年を! (くみ)
2014年も残すところあと僅かとなりました。
1年を振り返ってみるといろんな事がありました。中でも心に残った思い出があります。それは、三男玄太(5才)の3週間におよぶ入院でした。突然なる原因不明のひざの痛み。そして歩行困難。
「お家の中じゃあお兄ちゃん2人もいたらじっとしていられないでしょう。今は安静にした方がいいから入院しようよ」と言ったお医者さんもダンゴ三兄弟の真ん中。とても説得力がありました。
玄太は入院することをお医者から告げられると、私にこう言ってきました。
「ママ、げんたこれからどんなおへやでおとまりできるのかなあ。2かいだてかなあ?よるごはんはハンバーグかなあ?シイタケはいってないよね?なんだかワクワクしてきちゃうよ」と大人用の大きい車いすに乗っけられた玄太は私を見上げニコニコしながらとても上機嫌でした。
さあ、いざ入院生活の始まりです!パパ、ママ、じじ、ばば、叔母、従兄弟たち、協力できる人にはなんでも遠慮なくお願いをしました。「ふう~」とか「は~」とか息もつけない程の毎日。「わたし、乗り切れるかなあ」なんて弱音も吐きたくなりました。
でも一番辛いであろう玄太は(下半身はベッドに固定されていたため、身動き一つすることも出来ませんでした)いつ行っても病院のベッドの上でニコニコしていました。よし!玄太も楽しんでいるんだから私だって楽しまなくっちゃ!と心に決め同じ病棟の小学生のお兄ちゃんたちとUNOをしたり、将棋をしたり、おもしろい話しをしたり、聞いたり、とにかく楽しみました。
カレンダーも翌月に替わり退院まだかなあって思っていたら回診にやってきた先生に「げんちゃん、あした、たいいんしよう!」と言われ、7月の台風一過の晴れわたる青空のもと、重たいボストンバッグを肩から下げて「おそと、暑くなってるね」と自転車をキコキコこぎながらお家へ帰って来ることが出来ました。
2015年もよろしくおねがいします。 (りか)