Author Archives: kano

11月6日(土)市民祭で“福島応援フェア”やります!

あれから12年。福島で暮らす人や応援する人たちの商品を販売します。食べに来てください!買いに来てください!

★新米おこわ3種(お赤飯・栗おこわ・山菜おこわ)
おなじみ“おむすび屋高ちゃん”が福島の新米もち米を使っておこわを炊きあげます。秋です!お昼過ぎからの販売です。

★りんご(紅玉・ふじ・王林・シナノスイート・特別栽培りんご)
福島二本松のマルカ農園さんか青森弘前・伊藤さんのりんごです。甘味・酸味・香り・歯ごたえ抜群です。

★クッキー・マフィン・おやき各種
福島いわきの山あいにある食堂“きのことマサ”の手作り焼菓子ときのこたっぷりのおやき。エゴママフィンがウマイ!

★手作りジャム3種(りんご・サクランボ・甘夏)
国立で生まれ育ったフレンチシェフ樋口さん。6年前に福島二本松に移住。“道の駅”などでシェフの腕をふるう。一昨年神主さんと結婚。今も若い百姓のかあちゃんたちと料理教室を催している。

★自家製うどん・農産物(ビールも作っているのだけど、販売禁止なので残念!)
キャリア官僚を辞して福島二本松に移住して14年の関さん。“オーガニックあだち”を発足させ、新規就農者や近隣の農家と有機農業を拡める活動を続けている。関さん自家製“ななくさビール”はうまいんだけどなぁ~。昨年4月国立に来てくれ、催しで話した“移住・仲間づくり”は参加者の熱い共感をよびました。

変わらずつながりつづけること、それを楽しみに出来る関係を、これからも提案していきたいと思います。

福島とつながる種まきネットワークプロジェクト 狩野

畑だより ―たたかいすんで 日がくれて…畑に秋がやってきた―

「魔物にとりつかれた」ような過酷な夏に翻弄された畑と百姓に会いに行ってきました。
電車を乗り継いで 京王線堀之内で「キテレツファーム」神田くんと待ち合わせ、早速住宅地に囲まれた大きな空き地のような畑に行きました。
ここは神田くんの祖父が昔桑畑として耕していたところで、「おまえがやるなら使っていいよ」ということで、神田くん(32才)初めての畑です。
実っていたのは丸オクラだけで、とうもろこしもミニトマトもインゲンも立ち枯れています。「どちらにしてももう終わりなんだけれど、この夏はとれなかったなぁ」
次の畑への道すがら自宅と庭先直売所と作業場と小さな畑に寄りました。住宅地の中にある無人直売所は好調で、週末には5~6万円の売上のこともあるというのですからビックリです。街の八百屋(あひるの家)としてはショックです。
そこから15分くらいの小比企は八王子一の耕作地域で、3反歩程の畑がありました。10月中旬~下旬予定のレタス・大根・人参・里芋が葉を茂らしています。
次に向かったのは車で10分位、八王子インターのそばの6反歩程のフラットな畑でした。大家さんの敷地のなかにあり、代々農家だったけれど自分はやらない(高校の先生)ので誰かに使ってもらいたいということで、神田くんが借りているということです(ナント無料!)。
ここには秋冬野菜の殆どが植えつけられ、育ち始めていました。ほうれん草・小松菜・大根・南瓜・わさび菜… 「狩野さん、ちょっと手伝ってもらっていいですか?今とっとかないとみんな食われちゃうんですよ」ということで、手のひらサイズのキャベツとブロッコリーについた5ミリ程の虫をとることになりました。15分位でもうダメ!陽射しは強いし腰は痛いし、ギブアップして栗拾いに行きました。そうそう、この夏の稼ぎ頭の予定だった枝豆は「葉ばかり育って豆は入っいなくてダメだから、畑にすきこむ」と言っていました。
さて昼メシです。「なにかあった時に家族でよく行っていた」というパスタの店『ウッディノート』に。これが旨い!のです。私「貝柱とわさび菜のクリームソース」神田「鶏そぼろときのこのトマトソース」をシェアしながら食べました。
「この夏大変だったろう?」「マックスでしたね。ともかく毎日毎日今日は体がもつんだろうか、とか不安がよぎるんだけれど、畑に出たらやるしかないんでやりましたね」「すごい日々だったけど。灼熱の舞台の上で全力で踊っているみたいで、それはそれで面白かったかな。2回熱中症で倒れたけど」
「農業はみんなそうだろうけど、有機農業は特にこうやったらうまくいくという正解がないんです。そこが面白いんだけど」「有機農業はやっている人が少ないし、個々人がやってるから各々の経験値を寄せ合うことがないので、そんなことを伝え合うネットワークをつくっていけたらと思ってるんです…」
モチベーション高し!「今度もパスタ食おう」ということで駅まで送ってもらいました。
9/27電車とバスを乗り継いで2時間余り、神奈川県愛甲郡愛川町の北原瞬くん祥ちゃんの『けのひ農場』に行って来ました。
庭先で生落花生の水洗いとじゃが芋の泥落としをしている祥ちゃんとスタッフに挨拶をして、早速鶏小屋を覗いてみました。近づくと、餌をもらえると思って47羽の殆どが金網越しに集まってきて「クレ!」「クレ!」と鳴き声をあげる。草をあげると先を争って食べています。「もう5年位になり、1日に2~3個しか卵を産まなくなったので さてどうしたものか考えているんだ」ということです。
トラックに乗って借りている畑16ヶ所を巡りました。2反歩から8畝(反の1/10)1番2番と札がたっています。「1番から6番までの畑は水はけも悪いし日当たりも悪いし、傾斜地もあって野菜がうまく育たないんだけれど、9年前にここに入植した時は紹介されたものを断るなんて立場になかったからなぁ」
どの畑も草が伸びていて、手を入れられていないのが見受けられるのです。
「この夏スタッフも半分になって、その割には販売が好調で、ともかく出荷することに追いまくられていたなぁ。今は燃え尽き症候群みたいな感じだな。間に合わないので秋冬野菜はあまり期待しないでください」と言う夏に5キロ瘦せたという北原くんは、やつれていました。
家に戻り祥ちゃんと一緒にお蕎麦屋さんに行って昼メシです。
「この夏、初めて百姓やめようかと思ったよ。夜8時くらいまで仕事に追われ そこから“せめてゴハンは”と思って急いで作るんだけれど9時過ぎになってしまって、みんな言葉も少なく重い空気が漂う毎日だったなぁ。暑くなる前にと朝は4時頃に起きるんだけれど、そんなの続かないよね。百姓やめれば楽になるのかなぁと思ったよ」 「オレもさぁ 食欲がなくなって、それでも食わなきゃって配達の帰りにスーパーで惣菜を買ってきてみんなで食べるんだけれど、ある日ピザだったんだよ。自分で買ってきたんだけど“ピザかよ”って嫌になっちゃったなぁ」 「子どもたちが植えた生姜も、草刈りが出来なくて子どもたちからはブーイングがでるし、あの時の種代と時間で温泉も行けたし 海にも行けたしと思ったんだよな。もう勝手に草は伸びてたら…と、今は思っているよ」
蕎麦屋を出るときに、お店の人が大きな袋を2つ渡してくれたのです。そばとうどんの切れ端とそば殻が入っていて鶏の餌に混ぜるということです。祥ちゃんは、なすと冬瓜ときゅうりとおくらの入った袋を渡していました。米農家と牛飼いの人たちとも野菜や卵の物々交換をしているとのことでした。
「年内野菜もってあひるに行きますから、2人で!」と約束し固い握手をして、またバスと電車に乗って帰ってきました。
秋の果物がはじまりました。極早生みかん・種無し柿・ぶどう・梨・りんご。野菜は10月中旬ころには安定的に出てくる予定です。
百姓たちの夏は苛烈でした。新米の刈り取りが終わった10月下旬~11月初旬には、栃木県鹿沼の鈴木章さん(米・野菜)、田島さん(里芋・野菜)、高田さん(卵)を訪ねて行こうと思っています。
皆さんの夏はいかがだったでしょうか?

畑だより ―魔物がきたりて笛を吹く?2022年夏―

神奈川愛甲郡愛川町けのひ農場の北原くん祥ちゃんのこの夏の出来事です。
・夏野菜の収穫がいよいよ始まる6月中旬、メインのスタッフの家族がコロナに感染し、その後当人も陽性になり1ヶ月余りの離脱。
・6月下旬の酷暑で、もう一人のスタッフが農作業中熱中症になり倒れる。手がないことで無理をさせてしまったのかと申し訳ない気持ちでいっぱい。涼しくなるまでお休み。
・秋冬野菜のための土づくり・種播きに入る頃なのだけど、春~初夏に出荷した畑の片付けができていないのでそれもできず、朝晩に育つ野菜の収穫に追われ、生姜は草に埋もれ、どこにあるかわからない状態。
・国立の『おへそキッチン(シェアキッチン)』を借りて、例年ケチャップ・バジルソース・しそジュースを作っていたのだけど、野菜はあるのだけど行く時間がとれないのでパスだなぁ。
・50羽程飼っている鶏たちも暑さで産卵率がおち、それはいいのだけど、餌やり水やりはしているのだけど、声をかけたり手をかけたりしてあげられないので、毛艶も悪くケンカもたえず、申し訳ない気がするのだけど、横目で見ているだけ。
・鶏たちもそうだけど、子供たち(3人)にも気を掛けられず、午後から夕方まで海へ連れていっただけで、食事も配達の途中にスーパーに寄って、唐揚げなど惣菜を買ってきてすませる回数もふえている。子供たちも鶏たちも、相当にストレスをためているようだ。
・この夏、北原くんは海に行った半日、祥ちゃん(妻)は休みなし。夜明け~夜9時位まで働いて2ヶ月余りになる。出来ていないことばかりふえてきて、精神的にも体力的にも「ギリギリだなぁ」とボヤキながら、目の前のことをうっちゃっている日々。
・そうだなぁ、唯一の励みは生落花生・ナス・キュウリ・サンマルツァーノトマト・オクラなどが元気に育っていることかなぁ。
・まるで魔物に取り憑かれたような夏だけど、負のスパイラルととらえないようにしている。
・百姓をはじめて10年、これからの課題をつきつけられているということなのだけど、ともかくこの暑さがおさまってほしい。それからだ。
そんな北原くんのところの状況を、百姓歴45年の栃木・鈴木章さんに話したら、「オレも30才~40才位の時はムチャクチャ働いたなぁ。懐かしいよ。そこから自分の身の丈の仕事の仕方や量がわかってくるんだよな」とのコメントでした。
そういう章さん(75才)は、今もほぼ一人で牛を飼い、麦や米を作り、野菜を育てているのだから、「身の丈」というのはスゴイ!ことだと思うのです。
東京八王子のキテレツファーム神田くんは、この夏もほぼ一人で4箇所の畑を夜明け前から駆けずり回って、2回熱中症で病院に駆け込み、数日衰弱して寝込み、また復活する夏でした。
昨夏に続いて枝豆・トウモロコシ・キュウリ・ビーツなど思うように収穫できず、放置してしまった畑もあったようです。
元々一人なので「身の丈」しか出来ないのですが、30才代前半ということもあって、体力と気力の限界など倒れてみてわかるということなのでしょうか。ご自愛を。
豪雨が降り続いている青森弘前のりんご農家伊藤さんの所は、少し高いところにりんご畑があったせいか、坂下にあったりんご園は冠水して、りんごも落ちてしまったということです。
「今年の収穫はダメかと覚悟したのだけど、ほんと2~3mの高低差が明暗を分けたんだなぁ。あとは台風だな。りんごはおいしく実ってます」
畑は秋の端境期に入ります。夏野菜が終わりに向かい、秋冬野菜はまだまだという時期です。
新しく始まっているのが北海道のトマト・大根(空を飛んでくるので高いです)、1000m位高原のキャベツ・レタス・サニーレタス・葉物類です。9月から北海道の南瓜・人参・玉ねぎ・じゃが芋がはじまります。
果物は西瓜・メロン・桃が終了に向かい、幸水・豊水・二十世紀の梨、ぶどう各種りんご各種にシフトしていきます。夏の暑さと日照りで、果物はどれも甘くておいしいです。
サテ、この暑さいつまで続くのか、体力は持つのか不安なところですが、せめておいしい物を食べて寝て、乗り切っていきましょう。

あひるの家アンケート特集

4才~80才代の46人のお客さんからアンケートにお応えいただきました。
お店に買い物に行く前1時間半ウンウン考えて書いた方や、用紙の裏までビッシリ書いてくれた方や、なぜか“プリキュア”のイラストに“あひる大スキ”と書いてあるものもありました。「まるで宿題をやっているみたいだったなあ」という感想もいただきました。
本当にありがとうございました。
アンケートといいながら具体的な項目はなく、おそらくみなさんからのメッセージをきいてみたかったのだと思います。あひるのわがままにおつき合いいただきありがとうございます。アンケートに記されたお声にお応えいたします。

【あひるの家のお気に入りは何ですか?】

・安心して口に入れられる物がそろっている。野菜・果物・油あげなどがおいしい。(複数)
・あひる自家製ぬか漬けがおいしい。季節を感じさせる野菜の漬け物が食べられる。4才の子のいちおし。(複数)
・宝探しのような気分で買い物ができる。
・あひるのキャラ絵、ポップが好きです。(複数)
・【野菜セット】が楽しみ。珍しい野菜が入っていると脳トレになる。
・雨の日のスタンプ2倍のお買い物。
・配達があるところ。
・農家が値段をきめているところ。
・生産者や製造者の販売イベントが多くあり、直接人柄や話しに触れると、その後品物に親近感がわいて、そんな話しをしながら食卓を囲むとおいしさがますような気がする。(複数)
・女性スタッフがふえた頃から、店内が整頓され美しく商品が並ぶようになった。
・あひる通信・Facebookとも面白く、役に立つことも多い。(複数)
・お店もスタッフもゆる~い感じで、ほっとさせられる気分になる。(複数)
・客に媚びない。たまに無愛想。それもいい。
・コーヒータイムに出会うとラッキー。コーヒーがウマイ。(複数)
・いつまでも国立にあってほしい店No1です。

→お応え(お答え)します

・「おいしい!」というお声が一番うれしいです。ただ、“穫れた野菜”“作った品物”を売っているので、届いた品物がまずかったり品質が悪かったりは毎日あります。「なんでこんな物出すんだよ~、バカヤロウ!」と朝怒っています。即連絡して改善するよう話しています。精進します。
・【あひるのぬか漬け】はスタッフ朱くん専任なので喜びます。
・あひるのロゴ・ロゴマークは、40数年前友人のいもむしころう(清重くん)が一週間分の野菜と引きかえに描いたものです。今は朱くんがアレンジしています。
・大根は1本いくら?が適正なのでしょう?勿論あひるが決められる訳がありません。唯一根拠となるのは、農家がいくらだったらやっていけるかということになります。1反歩あたりいくらの売上げがあればやっていけるのか?それがベースになります。作っている人の仕事が一番だと思っています。
・あひるの店やスタッフが“ほっと”したり“楽しかったり”するというお声は、最も嬉しいものでした。あひるの店は“陽だまりの広場”をイメージしているので、ゆる~く出たり入ったりとどまったりできる場でありたいと思っています。

【こうすればもっとよくなるのにポイントを教えてください】

―ただちに実施―
・少しの雨でも、あひるポイント2倍にしてほしい!お客からは言いづらい。
・時々、自転車をどこに停めたらいいか困ることがある。
・時々、野菜の鮮度が気になることがあります。もう少し目配りしてください。
・【野菜セット】の情報をFacebook・TwitterでUPしてくれるとうれしいです。

―只今実施の方法を検討中―
・商品紹介・料理レシピなどがあるといい。(複数)→ 少しずつ実施
・本屋さんのようなPOP的なものをプライスカードにそえる。(複数)
・「欠品です」と言われても、今だけなのか?いつ入るのか?終了したのか?わかるようにしてほしい。(複数)
・日曜日のみのイベントが時々土曜日にもあると嬉しい。
・冷凍庫に何が入っているのかわかりにくいので、見やすく。
・お値段が品物(野菜・果物が多い)に比べて高いと感じることが多いので、お手頃価格を意識してもらえると買いやすい。
・今日のおすすめは△△といった誘導をしてほしい。

―今は無理だなぁ―
・あひるの手作り弁当があれば嬉しい。→ 作る人がいない。玉ちゃん高ちゃんをご利用ください。
・あひるオリジナル商品がふえるといい。→ 北原くん・キテレツ・章さんなどはオリジナルというんだろうか?加工品は今のところないなあ。
・甘味ゆいのたい焼きがまた買えるといい。→ あひる店頭でというのはないので、正月1週間位お店でやっていますのでご利用ください。
・セールの時もPayPay・クレジットを使えるようにしてほしい。→ 5%OFF+カード会社手数料の割引きは今はできないなあ。
・ポイントカードの特典を、もっと豪華だと嬉しい。半分たまったらプレゼントもらえるとか。→ 実利の少ないポイントカードだと私は思っています。ただ、今はこんなところでやらしてほしいと思っています。
・アイスを買った時、ドライアイスを頂けると嬉しい。だからいつも車の中で食べちゃってます。→ ドライアイスを準備しておくというのは、時間が経つと消えてなくなるので難しいです。保冷剤持ってきてください、ゴメン!
・配達をキャッシュレスにしてもらえるといい。→ クレジットカードは機材の関係で無理だけど、PayPayは検討します。
・富士見通りに2号店ができると嬉しい。→ 人的・経済的・体力不足で無理です。
・ビオワインを入れてほしい。→ 酒卸元のラインナップにないので探します。
・ラーメン屋を開くとか? → 食べに行くけど、やることはないです。

まだまだ、あなたの声が聴きたい!あなたの声に応えたい!あひるアンケート実施中

たくさんのお客さんからの「声」があつまり嬉しい限りです。まるで「宿題」のように1時間ウンウンうなって書いてきたというお客さんもいました。
レジをしている時にお渡しいただいたアンケートはファイルしておいて、店が終わってから秘かに読むようにしています。「おまえヤメロ!」なんて書いてあったらやっぱりショックですから、心落ち着けてから読むようにしています。
今までいただいたアンケートの2~3を紹介すると

◇客に媚びない。たまに無愛想。それもいい

◇「○○は終わりました」というのは、今日品切れなのか、シーズンが終わったのか、わからないことがあるので伝えてください。

◇セールの時にPayPayやクレジットカードが使えるといいな。

◇おむすび屋高ちゃんの日、妻が買いに行くとガッカリされるので、「この日は私は行かない」と申しております。

◇レジをしている時、久美さんは後ろの人に声をかけてくれるのだけど、狩野さんは待たせているだけなので、後ろの人に申し訳ないです。

アンケートまってま~す。

★アンケートにお応えいただいた方には、あひるスタンプ10ポイントプレゼントいたします

福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク11周年記念トークイベント『12年目の福島と私』

いまだから語れることも いまだから語りにくくなっていることも 語りつくす

『12年目の福島と私』トークイベント

◇スピーカー:市村高志さん(『人間なき復興』著)

◇日時:6月19日(日)16:00~17:30

◇会場:KFまちかどホール(富士見台第一団地内)

◇参加費:1,000円

◇お申し込み・お問い合わせ:080-4351-1353(狩野) tanemakinet@gmail.com

全国各地に避難した富岡町住民の交流の場や、生活情報を交換する場として『とみおか子ども未来ネットワーク』や『とみおか未来会議』を起ちあげ活動。町・県・国などの行政の壁に妨げられたり、時とともに退潮する富岡住民の意識の変化に対応しながら今日に至っている。
抗い難い11年という歳月の変化の中、市村さんとともに私たちのこれからを話し合っていきたいと思います。
短い時間なので集中してやります。ご参加ください。

『語り継ぐ物語』 その2 王隠堂編 ~鬱蒼とした杉林を抜けると、天空の屋敷があらわれた~

奈良市内から車を走らせること2時間。
杉林の山道を行けども行けども民家の一軒も見あたらず、勿論電話ボックスなど見つかりようもないのです。
「もう帰ろうか?きっといたずら電話だったんだよ。腹へったし」
と、関西センターの関君と2人途方にくれていたのです。
「あの峠に出たら帰ろう」ということで、峠の頂に着くと、なんと広大な屋敷が出現したのです。
鳥居のような門構えの柱には「王隠堂」という大きな表札が掲げられていました。
中を覗くと奥まったところに平屋の家屋があり、庭一面に白い玉砂利が敷きつめられています。
重々しい引き戸を開けて、「スミマセ~ン、王隠堂さんいます~」と声をかけたのです。
玄関の壁には籠がつりさげられ、襖には毛筆で何やらしたためられています。
「は~い」声がして、渡り廊下を歩いてくる姿がみえました。
「政見からは伺っておりますので、柿畑にご案内します」と、モンペをはいた老女は王隠堂さんのお母さんでした。
山の中腹の柿畑では、作業着に地下足袋の王隠堂さんが、骨粉の混じった堆肥を柿の木の根元に敷きつめていました。
家への道々、梅林を通りながら「これは梅酒用、あれは梅干用ですわ」と指さしてくれるのですが、梅酒用は青いうちにとり、梅干用はそれを熟させたものと思っていたので、「そもそも木がちがうんだ」と初めて知ったのです。
家に戻ると食事が用意されていました。
素麺・山菜・川魚の天麩羅・香の物というメニューで、素麺のつゆは青竹を半分に割ったお椀でした。
「こういうのは上品にいただかなくちゃいけないんだろうな」と思いながらも、腹が減っていたので即完食でした。
屋敷の裏手の山々が一望できる縁台に座って話しをしたのです。
「王隠堂さんの敷地ってどの位あるんだい?」ときくと、腕を左から右にぐるりと回して「見えるところすべてです」と言うのです。
話しをきくと、700年余りつづく旧家で、南北朝時代に後醍醐天皇を匿ったことで「王隠堂」という名をいただいた、ということです。
「国産材の需要が激減して山仕事がなくなり、農作物も柿と梅と花梨位しか穫れないので、西吉野から若者たちがどんどん街に出ていってしまったんですわ」
「先日奈良新聞を見ていたら、『有機八百屋開店』の記事が出ていて、連絡させてもらったんですわ」
「傾斜地の多い村では、どうしても平地に比べ畑仕事も収穫量も厳しいものがあるので、何か特徴になるものがないか考えていたんですわ」
その横顔は、父親の急死で若くしてかつての大地主を継いだ並々ならぬ矜持を感じさせるものでした。
有機八百屋をはじめて3年の関君と私は32才、「西吉野を有機の里に」とチャレンジしようとしている王隠堂30才、ともに意気投合して山を下りたのです。
ふもとで食堂を見つけ、ラーメンの大盛りを食べたのは言うまでもありません。
その後、梅・柿・花梨は勿論のこと、梅ジャム・柿ジャム・花梨ジャム・梅シロップ・梅のどあめ・花梨あめ・柿チップ・柿せんべえ……と、ともに商品開発をすすめ、ポラン広場グループはこぞって販売に力を入れていったのです。
西吉野村に円型プールのような梅干の作業所をつくり、仕事をつくり出していったのです。
商品企画の半分は売れず、製造販売中止になっていくのだけど、売れ筋の商品を王隠堂は生協やデパート、スーパーへと売り込んでいったのです。
商品企画会議で山を下りてきた王隠堂はなかなか帰らないようで、よく家から「政見はいつ頃戻るんでしょうか?」と電話があり、ポランのスタッフも「スミマセン!会議が長びいていて」と電話を切るのだけど、「会議はおとつい終わってんじゃん。ミナミで政見見たってよ」ということもままあったりしました。
和歌山にも梅林を広げ、レストランもはじめ、「王隠堂ブランド」は広く信頼をあつめるようになっています。
そのはじまりが、あの日だったかもしれないと思うと、八百屋冥利に尽きる1日でした。

『語り継ぐ物語』のこと

あひるの家の商品棚には数多くの品物が商品として並べられています。
商品ひとつひとつには人の営みの積み重ねがあります。
こだわりやゆずれないものや守りたいことやすすめたいことなど、なかなか商品だけでは伝えられない一端でも知っていただけたらと思い、「物語」(不定期掲載)をはじめることにしました。
ちなみに『語り継ぐ物語』その1は、前々号のあひる通信「沖縄編」でした。
パン屋さん魚屋さん豆腐屋さんお百姓さん……皆さんの日々の営みと重ね合わせ、励みになるようなものが記せたらいいなと思います。

畑だより ―春から夏へ、畑はちょっと一休み。百姓はGWもなく駆け巡る―

あれ程蕾や黄色い可憐な花を咲かせていた菜花たちも終了にむかっています。
春キャベツ・春大根・春白菜・新かぶ・新ほうれん草・新小松菜と、春とか新のつく野菜がはじまり、キヌサヤエンドウ・スナップエンドウ・インゲン・空豆・たらの芽など、冬野菜から春夏野菜へ移行してきています。
ただ、全体としては収穫量が多くなく収穫時期も短いので、店内に潤沢に並ぶということはなさそうです。
「一度は食べておかなきゃ」というのが筍です。
栃木鹿沼の田島さんの裏山で採れた筍が届いています。昨年は大不作だったようで、1回限りの入荷でした。
昨年、あまりに来ないので「この後筍はどうなるんだ~」とFAXしたら、「わからないよ~、筍にきいてくれよ~」という返事でした。
「今年はどうだろう?まだ早いけどきいてみよう」とFAXしたら、5日後ド~ンと送られてきました。堀りたてウマソウです。
ただし2.5kg~300g位の大きさの筍が混載されています。雨・晴れ・雨・晴れのせいかデカイのです。
さっそく店にあるデカ鍋にヌカと唐辛子を入れゆでたのです。一昨日はチンジャオロースと厚揚げとカツオ節煮、ワカメと筍の味噌汁を楽しみ、昨日は筍御飯をいただきました。久し振りに3杯飯を食べ大満足でした。
筍は田島さんだけなので、あと1週間位だと思います。食べのがしのないように、ゆで筍も売ってますよ。
4月1日に海開きになった沖縄はもう初夏です。
石垣島・平安名さん(八重山ネットワーク)からパイナップルの登場です。ボゴール種(甘味が強く、手でちぎって食べられるのでスナックパインともいう)→ピーチ種(ほんのりピンク色で香りと甘味がおだやか)→ハワイ種(甘味と酸味があって味が濃い)の順番で出荷されてきます。
「子供の頃砂糖をかけて食べたよなあ」と懐かしい、今や珍しくなった酸っぱい夏みかん(甘夏の前身)が静岡の西山さんから少量入荷しています。「酸っぱいのスキ!」という人はキープしてください。
GWを境に八王子・キテレツファーム神田くん、神奈川・けのひ農場北原くんからキャベツ・大根・ブロッコリー・アスパラ・ネギ・レタス・サニーレタス・ロメインレタス・サラダケール・玉ねぎ・葉玉ねぎなどが一斉に出そうです。
だから百姓たちは収穫・苗づくり・定植・種まき・草とりに追われっぱなしで、もしかしたら1年で一番忙しい季節なのかもしれません。「GWに家族でどこかに行こうか?」などと考えもできないようです。
幸い(?)神田くんのところは妻と子供2人は広島の親の所に行ってるし、北原くんのところは3人の子供たちがサッカー・陸上・野球で日々が埋まっているようで、「朝~晩まで力一杯畑仕事ができる」と、やや疲れ気味の声で言っておりました。
前号でもお知らせしましたように、今季はハーブ・野菜の苗の販売はありません。
一手に引き受けていた茨城のハーブスマンこと福山くんが、体調不良で今季見送りということになりました。楽しみにしていた方、申し訳ありません。来季に期待しましょう。
ただし、長野飯田の吉沢くんからパセリの苗は出ます。それとキテレツファーム神田くんから、手がなくて畑に定植できないミニトマトやナスの苗が出るかもしれません。
天候不順、体調に気をつけましょう。
GW中も畑は休まず、お店も休まずやってま~す。野菜買いに来てください。

畑だより ―桜は散ったけど畑は春爛漫ですー

八王子・キテレツファーム神田くん、神奈川愛川町・けのひ農場北原くん祥ちゃんの畑では、春の野菜で満開です。
まずは蕾や花芽を一緒に楽しむ菜花がでてきています。
菜花といえば一般的なのは小松菜の菜花のことですが、同じ油菜科の白菜の菜花や、のらぼうも菜花といいます。茎は太目で葉はゴワゴワとした見た目ですが、おひたしや炒めたりするととっても軟らかくて味わいがあるのです。
おひたし・辛子和え・炒め物・汁の実などで黄色い花芽もきれいで、少し苦みもあったりして、「春だなぁ~」と楽しめます。
サラダケール・カーボロネロ(黒キャベツ)はサラダでもオリーブオイル・塩・コショウでサッと炒めても、トマトの煮込み料理にも合います。
最近発見したのですが、ケールや黒キャベツをちぎってお皿に並べ、塩をふってオリーブオイルをかけて、ラップはせずレンジで40秒加熱、パリパリのせんべえみたいになります。これが旨い!ほろ苦くていくらでも食べられます。
あとはサラダ春菊・ワサビ菜・新ほうれん草・新小松菜もはじまりました。春野菜は炒めすぎない、ゆですぎないのがポイントです。他には葉付大根・春キャベツ・ミニ白菜・小かぶなどがはじまっています。
珍しいところでは、山菜の一種行者ニンニク(アイヌネギ)が北海道から届きます。行者たちが行者ニンニクを食べながら三日三晩山中を歩いて修行したといわれています。炒めても焼いても、酢味噌和えにしても、ニンニクの香りがたって力をもらえます。
南の島々からはピーマン・インゲン・パプリカに加え、にがうり・ミニそら豆なども届きます。
果物は、イチゴ・キウイ・バナナ・甘夏・河内晩柑・ふじりんご・レモンに加え、グレープフルーツ・夏みかんと続きます。
心待ちにしている南伊豆の山本剛さんの黄金柑は、まだ便りがありません。もう少しお待ちください!
春の息吹を感じさせる野菜と食べると、新しいエネルギーが注がれたような気がします。さあ!春です!はじまりです!

畑だより ―南の島々との熱い出会いがはじまった話し―

神奈川・北原くん、八王子・神田くんの畑をはじめ、関東圏の畑は端境期真っ只中で、野菜も少なくなっています。
百姓たちは種播きや苗づくりに汗を流しているのですが、この初夏のような陽射しでブロッコリー・カリフラワー・葉物など一気に育っているようです。
そこで今回は閑話休題、青い空と碧い海、ふりそそぐ陽の光、南の島々とのはじまりのエピソードを紹介します。

エピソード(Ⅰ)国産無農薬バナナを復活しよう! ―鹿児島・徳之島への旅―

「わたしの歩いたところ以外は歩かないように」と木の枝で生い茂る草をかき分ける島に移住した奥田さんの後をついていくと、草むらの向こうに背丈2メートル位の草木があって、黄色く熟れたバナナがぶらさがっているのです。
子供の絵本などで、高い木の上にたわわなバナナが実っていると思い描いていたのですが、押せば倒れそうな草木でした。
奥田さんがもいでくれた島バナナを食べようと辺りの草むらに座りこんだら、「ハブがいるから立って食べて」と言われ、立ったまま口に入れたのです。
「なんだコレは!!」甘~い香りととろける口あたり、今まで一度も食べたことのない味わいです。完全にトリップしてしまったのです。海を見ながら奥田さんと「バナナをやろう!」という話しで盛りあがったのです。
『島バナナの会』というグループをつくって、奥田さんが島民の人たちを誘って栽培をひろげ、私達ポラン広場グループがその受け皿になるということを決めました。
その後3回程島を訪れ、ある時は「町長が一席設けているから」と宴席に招かれたのです。接待されるなんて初めてなので結構舞い上がってしまいました。
「徳之島は漁業と農業と観光で成り立っているのだけど、サトウキビ栽培に頼った農業は砂糖相場の暴落などで立ち行かなくなり、若者たちが島外に出ていってしまっている。そんな時、新しい農業を提案してくれ、島おこしを一緒にやってくれるというのは、こんな心強いことはない」と町長が挨拶し、「よろしく」と酒をついでくれたのです。
「エライことになっちゃったな。ただバナナがうまかっただけなのにな」と戸惑ったのですが、「やるしかないでしょ」ということで始まったのです。
島バナナを店頭で販売できたのは3~4回だけでした。実は、バナナが熟す時が台風の時期とドンピシャだったのです。
「さあ、出荷だ!」という時に台風が来て、根こそぎ倒されてしまうのです。窪地で栽培して風をよけようとしたのですが、ダメでした。『島バナナの会』からは1人また1人と抜けていったのです。
島バナナは断念して、台風の影響が受けにくい「土の下」の野菜にシフトしていったのです。
徳之島とのつき合いが始まったのが1986年ですから、15年余りが経った頃です。ネットのない時代でしたから、沖縄からの情報をキャッチすることはできませんでした。
そんな時、沖縄の那覇に『まめだ』という八百屋が始まり、ポラン広場からの出荷も始まったのです。
『まめだ』から発信があったのです。
「おれんとこにいろんな島から野菜をとってくれって連絡があったんだけど、一度来てくんない」と言うのです。
ポラン広場グループの野菜担当とネットワーク担当の私が、3泊4日の予定で島々を巡ることにしたのです。「まだ泳げるかもしれないな」と、水着をバッグにおしこんでいったのです。

エピソード(Ⅱ)島々を結ぶオーガニックアイランドネットワークをつくろう! ―沖縄本島・宮古島・石垣島・小浜島への旅―

本島では―

『まめだ』の吉祥くんが、北部何部の2ヶ所に場を設定してくれていました。
各々20名位が集まってくれていて、グループの紹介や野菜の作付け、流通の仕組みなどを話させていただき、質疑の後関心のある人に残ってもらい、その人の畑を見せてもらって具体的な作付に入るのです。
那覇の作本さんのところでみせてもらったトマト畑は、陽をサンサンと浴びて、10段位までとれるとのことでした。
養鶏をやっている吉富さんの鶏舎は海に面した傾斜地にあり、平飼いなのだけど密飼いという位鶏たちがいるのですが、鶏たちは穏やかで、肩の上に乗ったりします。吉富さんが言うには「丘の上の神社の土と海風が、鶏たちを穏やかに健康に育てている」ということです。
作本さんの所でも吉富さんの所でも、陽射しと風と土がとてつもない生命力を育んでいるのではないかと思ったものでした。

宮古島では―

空港を出ると、安仁屋さんをはじめ5人の百姓が2台の車で迎えに来てくれていました。
畑に向かう車中で彼等同士が話している言葉は一言もわかりません。完全に異国モードです。
マンゴー畑パッションフルーツ畑ドラゴンフルーツ畑と見せてもらうのだけど、見たことも食べたこともない果物だったので、よくわからないのです。いんげんとピーマンなどの野菜畑に行った時は、ほっとしたものでした。
畑のまわりの樹にすずなりになっているピンポン球位の黄色い実がなっていたので「これはなんだい」ときくと、「シークワーサーっていって、泡盛に入れるとうまいんだけど、ほとんど放置だな」ということで1個いただいて口にいれると、酸味があってほんのり甘いのです。
「レモンのない季節にこれをやるといいな」と言うと、「こんなん売れるのかなあ」と言うことです。
喋って喋ってついには飛行機内まで入りこんで、「おれの友達がスッチーだからダイジョーブなんだよ」とか言って、出発のアナウンスがあるまで掌を握りしめ話しつづけていたのです。

石垣島では―

平安名さんが迎えに来てくれ、さっそくパイナップル畑に連れていってもらいました。
何故か平安名さんは漁師が着るような胸まである厚手のゴムガッパ(?)姿なのです。
緑色のパイナップルがズラーッと並ぶ畑で話していると、畑の真ん中あたりに黄色く熟したパインがあるのです。
「あれ食べていい?」「どうぞどうぞ」と言うので畑に入っていこうとすると、背後から「ハブにきをつけて。おこすとかみつかれるよ」の一声。「早く言ってよぉ~」と退散したのです。
小さなパイナップル缶詰工場を見せてもらって、海辺の料亭で沖縄料理のフルコースをごちそうになりました。
「今は99%が輸入のパインだけど、国産パインを広げたいんだよ。沖縄でも石垣島だけにハワイからの風が吹いてくるので、一番旨いんだよ」と平安名さんは熱く語っていました。

小浜島では―

石垣島から船で30分位、『小浜タクシー』で迎えてくれたのは30才代の名越士くん。島めぐりをしながら「島には小中学校しかなく、高校生になると石垣島に行くしかなくて、若者たちがどんどん島外へ出ていってしまっていて、年寄りだけになってきているので、農業もままならなくなっている」とのこと。
名護士くんは鹿児島でラジオのDJなどをやりながら、夏に全国から「草刈り十字軍」的な催しをやって若者に来てもらったりしているとのこと。
かつて稼働していた島営の砂糖工場を見せてもらい、「砂糖とかゴマの栽培ができないかな」という話しをしていると、「ちょっと待っててくれる。明日島祭りがあって、子供たちに踊りを教えることになってんだ」ということで、中学校の体育館へ。
15名程の中学生と先生がいて、沖縄の謡曲に合せて舞うのです。足を高くあげると名護士くんのくつ下から親指が顔をのぞかせるのです。
床に座って謡曲を聴きながら開け放たれた窓の外を見ると、海がキラキラとどこまでも広がり、快い風が吹きこんでくるのです。
「天国に近い島」、そんな得も言われぬ幸せな気分でした。

沖縄の旅は、毎夜毎夜宴会でした。酒を飲めない私は毎夜毎夜ソーキそばを堪能していました。ただ、豚足・豚耳・緑や黄色のトロピカルな色合いの魚はどうもダメでした。
島々には、1人か2人は出荷先のあてがないのに有機農業を志す変わった人がいたのです。「おれの気持ちがわかってくれる流通と出会えるかも」という気持ちが、熱い出会いになったのです。
沖縄・徳之島からは新じゃが芋・新玉ねぎ・石川小芋(里芋)・きゅうり・トマト・ミニトマト・ピーマン・パプリカ・いんげん・シークワーサー・パッションフルーツ・パイナップル・マンゴー……などをいただいています。

新しくはじまる野菜は、のらぼう・白菜菜花・小松菜菜花・かき菜・花わさび・うど・春大根・春キャベツ・新さつま芋・新人参などで、果物はグレープフルーツ・夏みかん、甘夏・河内晩柑はまだ続きます。
今期はハーブスマン福山くんが体調を崩し、ハーブの苗・野菜の苗の出荷ができなくなってしまいました。楽しみにしていた人、申し訳ありません。福山くんの体調回復と来期に期待します。

(狩野)