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畑だより ―年末・正月用野菜はどうなの?―

あったかすぎる冬の到来で、野菜がどんどん育っています。寒くなるといなくなる虫も、元気に野菜を食い荒らしています。
キャベツも白菜も大根もほうれん草も小松菜も立派に育って、2週間前拳の2回り位の大きさしかなかったキャベツが嘘のようです。
「ようやく育ったか!よかった!よかった!」と言いたいところですが、今度は別のことが気掛かりになります。
ひと雨きて晴れるとキャベツ・白菜は割れちゃうんじゃないか?大根は大きくなりすぎてスが入るんじゃないか?ほうれん草はトウ立ちしないか?小松菜は大松菜になっちゃうんじゃないか……。そして、最大の懸念は「年末に野菜はあるんだろうか?」ということです。
さっそく北原君(神奈川愛川町)にきいてみました。
「その通りです!あひるの年末用に播いたものが、10日位したら出せそうです。特に小松菜。困ったなあ、成長とめられないしなあ。大きくならないでと祈るばかりですよ」という答え。
これまた2週間前まで出荷できる野菜がなくて、「大きくな~れ、大きくな~れ」と念じていた北原君なのに、全く百姓の仕事は大変です。
正月用野菜は作付してあります。
八つ頭(山梨・栃木)、三浦大根(茨城・栃木)、切三つ葉(北海道)、菜花(鹿児島)、きゅうり(沖縄)、トマト(沖縄・熊本)、ピーマン(沖縄)、いんげん(沖縄)、下仁田ネギ(栃木)、生わさび(静岡)、金時人参(千葉)、ゆり根(北海道)、絹さやえんどうとくわいは今季ないです。
12月中旬位まで潤沢で、下旬(肝心な時!)品薄になりそうです。
果物は、茨城・竹村さんからいちごがはじまりました。鮮度・味・香りが抜群です!はじまりは大粒系になります。
寒くなってみかん・りんごも一段と味が濃くおいしくなってきました。
今年も1年不順な気候に翻弄された畑でしたが、百姓たちはみなさん元気です。

畑だより ―点から線へ、線から面へ、そして海外へ……―

残念なお知らせです。
ポラン広場発足時(1983年)からのメインの農家だった茨城・要ファームが閉園することになりました。代表の磯山さんが体調を崩し、長期入院を余儀なくされたことに因ります。
35年余りにわたるおつき合いでした。
磯山さん・ヒロ子さんご夫妻とポラン広場には果たしたい夢がありました。
「農協(JA)月へ行く」とまで言われていた農協全盛時代、「反農薬・反農協」を掲げ有機農業を営んでいくことは、自ら村の中で孤立を選んでいくようなものでした。
それ故、有機農業を営む農家はあっちにポツン、こっちにポツンと「変わり者」として存在しているだけで、地域の中でのつながりをつくっていくことができないでいました。
「地域に有機農業の畑を拡げていこう!」と、仲間づくりをはじめたのです。
『要ファーム』と名付け、大きな集荷センターや研修もかねた集会所、海外からの農業研修生のためのログハウスを建てたり、ハム・ソーセージ製造の作業所も併設していきました。
有機農業への全面転換に尻込みする地域の農家には、「ネギだけ」「大根だけ」「ほうれん草だけ」と畑と作物を限って依頼し、有機農業への関心と有機の畑を地域に中に拡げていったのです。
一時期30数名の地域の農家が要ファームに出荷していました。ポラン広場を通じた消費者との交流も「トマト祭り」「田植え」「収穫祭」と数多く催してきました。
「地域に有機農業の畑を拡げる」という試みは実を結んでいったのです。そのメインキャストは磯山さん・ヒロ子さんご夫妻でした。
しかし、高齢化・後継者不足や、栽培の難しさや、「お金にならない」などの要因で一人また一人脱けていきました。
決定的だったのは福島の原発事故でした。茨城も放射能の影響を受け、出荷がとどこおる時期が続いたのです。厳しい最低基準値を設けた要ファームとポラン広場に対し、10倍以上の緩い基準値のJA出荷に多くの農家は流れていったのです。
磯山さん・ヒロ子さん夫妻のチャレンジは、今なお解決できない有機農業の課題としてあります。
残念です。体を治して元気な姿で会いたいものです。

野菜・果物は順調に育っています。寒くなって野菜も果物もおいしくなってきました。風邪などで体調を崩さないようにしましょう。

※この通信を書き終わってしばらくして、磯山さんが急死したとの一報が入りました。入院にそなえて前日まで車で駆け回っていたそうです。家族にとっても私達にとっても思いがけない訃報でした。「生き切った」という事なのかもしれません。安らかにお休みください。

(狩野)

畑だより  ―母はすごいよ ~かわいい子は置いて旅に出よう~ 北原ファミリー奮闘記―

神奈川愛川町で百姓をやって6年目の北原瞬君・祥ちゃん(36才)息吹君(5年生)雫ちゃん(2年生)柏君(5才)の5人家族に異変が起こって大騒ぎ。
これまで、朝5時~夜9時位まで百姓仕事・家事・育児を一手に担っていた祥ちゃんが、10月20日から10日間の予定でオーストラリアに旅立ったのです。友達の結婚式出席と、高校時代お世話になったホームステイ先何ヶ所かを訪ねる旅です。
出発前、次男柏君は「オレ絶対泣くからね」と宣言し、父ちゃんの瞬君は「自分の洗濯物をたたまない奴の洗濯しないからな」と、早くもけん制球を投げ合ったということです。
北原君に電話できいたり、フェイスブックをのぞいたりしたエピソードをご紹介。

エピソードⅠ

1日目、2人でやってもギリギリだった収穫・出荷作業。夕方になり、「アーア、もう間に合わない」と諦めていた時、息吹君と雫ちゃんがランドセルを背に作業所に駆けこんできて、「大丈夫?何か手伝うことある?!」。配達〆切りに間に合ったのです。
そこで北原君は思いついたのです。「ミーティングをやろう!」。
夕食後、おやつを食べながらミーティング。明日の各々の予定と家事分担を出し合う。その中になんと父ちゃんの仕事の予定も入っているのです。
「明日は宅配が10件あって、4時に発送なのだけど、誰か学校帰ってから手伝ってくんねえかな」。5才の柏君も真剣な眼差しで自分の予定と自分が出来る手伝いを考えている様子。
30分程のミーティングの後、風呂準備や宿題やTVに散会する時、子供たちも北原君もこの難局を乗り越える連帯感のようなものを感じ、すがすがしかったそうです。
洗濯も朝食準備も終わって、サテ寝ようかとした時、思い出したのです。長男息吹君の野球のお弁当の仕込みを忘れていたのです。明日は5時におきておむすび作らなくちゃ……。
つくづく世の中のお母ちゃんは大変だなあ、で1日目が終わったのです。

エピソードⅡ

夕食はリクエストにこたえてキーマカレー。食べた後は定例になったショートミーティング。明日からのミッションを出し合って感想を述べ合うのです。
何だか初めて子供と“人と人”として向き合ったような気がして、感動的な気分で食器洗いをしていると、風呂場の方で叫び声と泣き声がきこえてきたのです。
今日は次男柏君が風呂の湯を張ってくれることになっていたのだけど、75℃設定で入れてしまって、知らずに入った長男息吹君がオチンチンにかけてしまって大騒ぎ。
「その位わかるだろう」と父ちゃんに息吹君は怒られ、柏君は兄ちゃんにボロクソに怒られ、裸で廊下に立たされ反省させられたそうです。
皆が寝入ってサテと思っていたら、忘れていたのです。次男の保育園の布団を干すこと、上履きを洗っておくこと。「冬用昼寝布団を持ってきてください」とのお手紙、どこにあるんだよ、母さん……。
母ちゃんはスマホ持っていないため、4日経った今日も連絡ナシ。こっちはみんな寂しがる余裕もない程疲れきって眠りについているのでダイジョーブ。ちゃんと羽のばしてこいよ。さあ、明日も忙しいぞー、朝5時テレビ前に集合……
まだまだ続く北原ファミリー奮闘記はフェイスブックでお楽しみください。

1ヶ月余り遅れて実りの秋がやってきました。
北原君からは子供たちも手伝った小松菜・かぶ・ラディッシュ・京菜・赤リアスからし菜が届いています。
葉物も充実して値段が下がってきています。ただ、キャベツだけが生育が遅く、小さいのに高いです。
里芋・さつま芋・蓮根・ごぼう・人参など根菜類も、寒くなっておいしくなりました。
果物は、なんといっても井場さんのみかんの味が濃くなってきて、りんごも紅玉・千秋と酸味があるのだけど甘い品種と、ふじ・トキと甘味が強く硬めのものもでてきています。
柿は富有柿に、キウイは群馬・大野さんの蜜いっぱいの紅妃(こうひ)がはじまりました。
私達も北原ファミリーに負けず頑張りましょう。

畑だより ―端境期の畑に台風が襲ってきた―

「ナイ!ナイ!」話しをしても気が滅入るので「アル!」話しからはじめましょう。
それでも、新しい作物が出始めました。
南瓜・玉ねぎ・赤玉ねぎは元あひるの家スタッフ(40年前)北海道富良野・阪井君。飯塚君のごぼう・さつま芋(茨城)、岡田さんの蓮根(茨城)、ハーブスマン福山君のラディッシュ(茨城)、人気No1の田島君の里芋(栃木)。
果物は、いよいよはじまった井場さんのみかん(広島瀬戸内海高根島)、高岡さんのグリーンレモン(熊本)、伊藤さんのふじ・千秋・ひめかみなどのりんご(青森弘前)、王隠堂さんのたねなし柿・富有柿(奈良西吉野)……などです。
まだまだ少ないのが葉野菜(ほうれん草・小松菜・春菊・チンゲン菜・京菜・小かぶ)や、キャベツ・レタス・サニーレタス・大根など。
低温・台風の雨風でほぼダメになった野菜は、キュウリ・ナス・トマト・ピーマン・いんげん・ネギ・人参などで、支柱ごともっていかれました。
栃木の鈴木章さんの所では、「ネギもインゲンもキュウリもどっかにいっちゃったんだよ。風でどっか遠くへ飛ばされたんじゃないかな。牛小屋の屋根も壁も壊されたので、次の雨が来る前に直さなくっちゃな。米を刈り取っていてよかったなあ。サァ!張り切るゾ~」と、電話の向こうで空元気を出していました。
今年もあと3ヶ月となりました。季節の間がなくなったように思います。
「春らしい日がなかったね」「梅雨がなかったね」からはじまって、酷暑に打ち負かされつづけた6・7・8月。雨と台風と地震に打ちのめされた8・9月。いつも追いまくられ、追いつめられているようでした。
畑や百姓も同じ様で、寒さで冬を越せなかった虫が春に出てきたり、見たこともない虫が大発生して野菜を食いあらしたり、りんごに黒星病がまんえんし収穫減になったり、尋常ではない雨・風・日照りが続いたり、休む間のない10ヶ月だったと言います。
日本の四季をあらわる「端境期」という言葉も死語になっていくのかもしれませんね。
「混沌」を乗り越えていきたいものですね。

畑だより ―えっ?!端境期がはじまった?!―

「旬を運ぶ八百屋」「畑によりそう八百屋」というとなんだか恰好いい気分になるのだけど、実はそんな「八百屋」の辛く長い日々がはじまるのです。
「端境期(はざかいき)」です。
野菜の多くは、夏を旬にするものと冬を旬にするものの2タイプになっています。だから、夏が終わって冬が来るまでと、冬が終わって夏が来るまでの期間は実る野菜も少なく、お百姓たちは秋冬野菜の種播きや苗づくりや堆肥づくりを主とした農作業に力を注いでいきます。
ということは、畑の作物を売っている八百屋は、「あれもない」「これも終わった」「あれはまだ育っていない」と、売る野菜がなくなってくるのです(少しはあるけど)。市場を仕入先としているスーパーやデパートの野菜売場を見ると羨ましいばかりです。
特に今夏は暑さが早く来たので、野菜の生育が前倒し(10日~2週間位)になっていたので、終了もその分早くなっています。
と、グズグズ言っても、「そうなんだから、そうなんです」と自分に言いきかせています。

一転、実は「実りの秋」なのです。
まず米です。新米です。
9月、章さんの米(栃木)・おむすび米(長野)、10月いなほ米(新潟)、11月さゆり米(福島)とつづきます。
章さんからききました。
「9月に入ったら稲刈りだよ。でもなあ、広~い田んぼにおれ一人っていうことも多いな」
「ちょっと前まではどの田んぼも、町に出ていった子供たちも帰って来て、家族総出でやってたんだよな。昼にはあっちの畔やこっちの畔で車座になって皆でメシ食ってなあ。年に一度のハレの日だったんだけどな」
「近所は刈り取り業者にお願いしてるところがほとんどになっちまったよ。まあいいか!張り切ってやるべえ」
と、淋しそうでしたが、声は弾んでいるようでした。

実るのは果物です。
ぶどう ― 巨峰・ロザリオビアンコ・ネオマスカット・ベリーA・デラウェア
梨 ― 幸水・豊水・二十世紀・バートレット・スタークリムゾンペア
りんご ― 祝・さんさ・ひめかみ・きおう・つがる
パイナップル・タカミメロン・キスミーメロン・バナナ・キウイフルーツ、あと僅かの西瓜。アッ!それとまだあった貴重なレモンが広島からスポット入荷しています。

野菜は正直、品数も数量も少なくなってきています。
なす・きゅうりは減少、キャベツ・レタス・ほうれん草・小松菜など葉野菜は小さめ少なめ、トマト(北海道・長野)だけが充たされているかな、というところです。

「ない!」「ない!」とあまり言わないでください。夏の暑さでバテ気味の体にこたえます。
皆さんの「工夫」で端境期をやり過ごしてください。

畑だより ―わたしたち、いつまで走りつづけられるんだろう?!―

と呟いたのは、神奈川・北原祥ちゃんです。
子供たち(3人)が起き出す前にひと仕事と、朝4時から畑に出てトラクターを乗りまわし、家に戻って朝ごはんを作って、子供たちを送り出してからもうひと仕事、昼飯をかきこんだら、夕方4時運送屋さんが集荷に来るので収穫した野菜を洗ったり束ねたり袋に入れたり箱詰めしたりに追いまくられる。
「本当はこの季節、30分でも昼寝が出来たらいいんだけど……」
出荷に間に合わせた頃、子供たちが帰って来て夕食準備。食べずに週3回近隣に配達に向かう(7月から宅急便代が2倍以上に値上がったので、買ってもらえなくなると困るので自力配送に切り替えたのです)。夜9時半頃戻ってきてから夕食、少し子供たちと遊んで、寝た後伝票整理……といった1日です。
百姓になって瞬君6年目、祥ちゃん3年目。なりたくてなった百姓生活・仕事なのでイヤではないけれど、「こんなにもせわしなく、こんなにもままならなくて、こんなにもお金にならない」とは思いもしなかったということです。この間、祥ちゃんはついに倒れて、病院に行ったそうです。
そんな瞬君・祥ちゃんからは、ナス・トスカーナナス・サンマルツァーノトマト・きゅうり・ロロン南瓜・バジル・ツルムラサキ・空芯菜・オクラ・ピーマンなどが出荷中です。
7月29日(日)に予定していた店頭直売は、草刈りに追われているので中止となりました。
栃木の鈴木章さんは、「南瓜以外はみんな枯れちゃったよ。それはまあいいんだけど、秋野菜の種が播けないのが困りものだよ。サバクだよ、サバク」と嘆いています。
会ったり話したりする度に、「百姓の性根」をのぞかせてもらうようで、「スゴイなあ」と思うばかりです。
畑や百姓は苦戦しながらも、夏野菜真っ盛りです。
トマト・きゅうり・ナス・ピーマンのゴールデンカルテットに、この季節ならではのツルムラサキ・モロヘイヤ・にがうり・ズッキーニ・オクラ・ししとう・はぐらうりも始まっています。お待たせみょうがは8月初旬少な目で入荷予定です。
果物は、雨が少なく暑さが続いているので甘味が強いです。桃・すもも貴陽・ネクタリン・パイナップル・ぶどう・ブルーベリー・プルーン・西瓜・メロンと充実のラインナップです。
過酷な暑さの中でガンバッテる畑の野菜・果物や百姓たちに感謝しつつ、食べて私達もガンバッテいきましょう。

「あの日から7年。いま、福島の言葉を聴く。」

たねまきネット講演会

あの日、あなたはどうしていましたか?

「あの日から7年。いま、福島の言葉を聴く。」

あの時、福島県南相馬市小高商業高校校長齋藤さん、教師中島さん、生徒Mさんをお迎えして、あの時とそれからと今を語っていただきます。
今もつづく三重苦(地震・津波・被曝)の中で、3人は何を思い日々を重ねているのでしょうか?そして、これからをどう生きていこうとしているのでしょうか?
忘れつつある人々や被災者でないわたしたちに、どのような言葉を向けようとしているのでしょうか。
齋藤さん自作の詩にこんな言葉がありました。

「だから、ひとよ。/虚飾の舌で/優しく、希望は歌うな。/偽りの声で、声高に、愛を叫ぶな。/優しい言葉で、思考停止するな」

2011年3月11日午後2時46分、同じ体験をした者として自らの体験を語り継いでいくために、3人の話しに耳を傾けたいと思います。

◆日時:7月14日(土)14時~16時半
◆開場:コミュニティスペース旭通り(NTTビル1F)
◆参加費:1,000円(予約不要)
◆お問い合わせ:080-4351-1353(狩野)
◆主催:福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク

畑だより ―夏野菜・果物出揃いました―

雨が続いて畑に入れなかったり、急激に気温が上がり過熱気味になったりと、お客さんにご迷惑をおかけしたことがありました。梅・らっきょうの季節も終わり、いよいよ夏本番を迎えます。
連日の暑さで、夏野菜・果物の生育が前倒しになっています。先日までの雨が畑の土を潤していて、その後の強い日射しで野菜がグングン大きくなり、果物はドンドン甘さをましていて、今が一番いいかもしれません。

―野菜―

何と言っても栃木・鈴木章さんのマロン南瓜がホクホクして甘くて、塩だけで十分おいしくいただけます。
トマトは同じく栃木の田島さんから直送されてきます。品種は【麗夏(れいか)】で、甘さも酸味もおだやかで、実がしっかり詰まっているので水に沈みます。夏の間、田島さんのトマトにお世話になるつもりです。
章さんからは枝豆・インゲン・ゴーヤ・ズッキーニ・長ネギ・ツルムラサキ・四葉きゅうり・モロヘイヤ、神奈川・北原君からは大根・コリンキー・バジル・ルッコラ・ズッキーニ・人参・4種のじゃが芋などが入荷しています。北原君は7月下旬に店頭直売を予定しています。
全般的な産地は中間産地(標高500m位)の山梨に移行しました。日照時間も長く(山梨明野村は日本一)、朝晩涼しいので、おいしい野菜が育ちます。キャベツ・大根・きゅうり・ミニトマト・とうもろこし・長ネギ・モロッコインゲン・ピーマン・レタス・サニーレタス・リーフレタス・ナス……ほとんどの夏野菜が出ます。
葉物類は北海道や群馬の山間地にシフトです。
豊富なラインナップですが、このまま雨が少なくて高温だと、まず大根の水分が失われ、長ネギも硬くなり、他の野菜も高温障害をおこし病気や成長がとまります。やはり、梅雨はあった方がいいです(夜だとみんなウレシイ!)

―果物―

どれも甘いです、雨が少ないので。
人気No1の山梨・久津間さんの桃はじまりました。すもも【大石早生】、奄美・沖縄の野生種すもも【ガラリ】、沖縄石垣島・平安名さんのパイナップル、千葉・山武野菜ネットワークの大玉西瓜・マダーボール西瓜、千葉・荻原さんのタカミメロン・ラブコールメロン、和歌山・内芝さんのびわ、栃木・浜田さんのブルーベリー、青森・伊藤さんのさくらんぼと、「次何食べようか?」迷う程です。
果樹栽培は作る人の技量に左右されます。百姓たち自慢の一品を食べてください。

いや~暑い!!食べて元気しかないよね。

6月17日(日)栃木鹿沼から鈴木章さんがやってくる!

米・インゲン・モロッコインゲン・枝豆・きゅうり・キャベツ

モロヘイヤ・人参・じゃが芋・間に合ったらピカイチおいしい西瓜

そしてパフォーマンスはジミ~に「麦わら遊び」ストロー・笛・馬細工と「自家製漬物」

梅雨です。「やわらかい雨よふれ」と章さんは言います。
有機農業歴42年の章さんは有機農業の草分け的存在で、若い百姓たちや八百屋たちから「栃木の宮沢賢治」と言われ慕われたり、憧れられたりしています。
牛を飼っての有畜複合有機農業は循環型農業の手本のようなものなのですが、やれている人は多くはいません。
お母ちゃんのマツ子さんと2人で、「悠々として急げ」とばかりに淡々とこなしている暮らしぶりは、「スゴイ!」と思わせるものです。
当日は10時頃来て4時頃帰ります(牛の世話があるので)。会いに来てください。

『あひるの家の冒険物語』 第17話 最終章 ―あひるの家は続くけど『冒険物語』は終わります―

―読んでいただきありがとうございました―

あひるの家が始まって10年を迎えたところで『あひるの家の冒険物語』を終わりにしたいと思います。
今現在までその後30年余りあり、皆さんに知っていただきたいエピソードもたくさんあるのですが、どうしても記録的・説明的になってしまい、「社史」を記しているようで、時間の記憶に耽るワクワク感が持てそうにないのです。
「あひるってどうして始めたの?」というお客さんやスタッフの声がきっかけで、「そうだ、40年も経ったし、惚けるのももうすぐそうなので」と記しはじめたのです。
休みの日に数少ない資料や写真を引っぱりだして書きはじめるのです。1話書くのに10時間位かかりました。その半分の時間は、コーヒーを飲みながら「あの日、あの事、あの人」に思いを巡らすのです。
あの路地をリヤカーを引いて曲がった時の不安な心持ちや、プロジェクト・イシ採決会議のため国分寺北口のバス通りを歩いていた時の逃げだしたい気持ちや、ポラン広場全国大会の夜早稲田奉仕園で星を見ながら流した涙のあたたかさや、店先のテーブルに並べたまかない飯のホッケの香ばしい匂いや・・・・・・
まるで1枚1枚の日めくりをめくっているようでした。甦る「あの時」に浸れた至福の時間でした。

―それから30年が経ちました―

ポラン広場ネットワークⅠ ―ポラン広場ネットワークを全国へ!― 1983~1994

★ポラン広場が東京・埼玉・関西・北海道に続いて名古屋・九州・栃木・神奈川に発足する
(地域に有機農業の環をひろげる)

★ポラン広場に参加する流通販売グループは70グループを数え、その売上げ総額は50億円を超える
(ポランのほかに神はなし)

★ポラン広場の宅配を巡って10販売グループが脱退
(八百屋のポラン広場は終わった)

★1986年『ばななぼうと』をきっかけに、大地を守る会・グリーンコープ(九州)・生活クラブ生協・リサイクル運動市民の会・らでぃっしゅぼーやなどと『DEBANDA』協議会を発足させる
(学生時代被っていたヘルメットの色がわかるリーダーたちだった)

★『韓国自然農業中央会』との交流がはじまる。「軍事→民主」への政権移行期、若者たちが仕事や学業を辞して、「農業天下大基」を掲げる『自農会』に加わっていったソウルで『自然宅配』をスタートさせる
(詩人・金芝河を語った時の涙は60年安保の時の若者たちのようで、熱く清々しいものでした)

ぼくは「ポラン広場ネットワークを全国へ!」のポジション(ポラン広場全国事務局)を関君(関西・ビオマーケット)とともに20年余り担わせてもらいました。
地域ポラン広場の発足や流通販売グループの立ち上げなどに関わったり、ポラン広場のテーブルづくりを運営したり、生産者の作物別会議(トマト・りんご・みかん……)をサポートしたり、東へ!西へ!駆け巡る日々でした。
「ネットワーク型集団」というのは先例がなかったので、物事を決めるにも決め方の方法を発見していかなくてはなりませんでした。
「テーブルに権威をおく」「反論する関係を大切にする」「決定しないということを決定する」「他人という鏡を磨く」・・・、次のレールを継ぐために言葉があみ出されていったのです。
「オレが、わたしが、ポランだ!」と思うだけで、力が漲ってくるように思えた時代でした。

ポラン広場ネットワークⅡ ―分解・凍結するネットワーク― 1995~現在

★東京流通センター(株)夢市場がネットワークから離脱。『マザーズ』ブランドでデパ地下などでテナント販売を展開する。
国立にも販売店をオープン、昨年末閉店。2017年夏、(株)夢市場倒産、『マザーズ』売却。
(有機食品の新しいマーケットを拡げたが、継続ならなかった)

★九州流通センター(株)オーネット倒産 ―ビオマーケットがポラン広場の宅配を開始する―
(あひるの家の久木原君・東元君・鈴木君の3人が移住して立ち上げたのだけど、販売がひろがらず、2年程で断念。ほぼ戦わずに敗れた状態だった)

★名古屋流通センター(株)ポカラ倒産 ―ビオマーケットが流通販売事業を継続―
(自社ビルを建てたり隆盛を誇っていたのだけど、台風による浸水の影響が大きく、断念した)

★関西流通センター(株)ビオマーケットと埼玉流通センター(株)ECOが合併し、首都圏でのスーパー・デパートへの卸しを開始する
(地域主体のネットワークが崩壊する。(株)ECO取り引きを主にしていた生産者の不安が広がる)

★ポラン広場ネットワークが停止。以降、フリーズした状態が続く
(ともに囲むテーブルが消滅。個別事業体としてやっていく)

★北海道流通センター(株)HAVE札幌市場代表の笛木君自死。HAVE札幌市場、ポラン広場北海道から離脱
(笛木君はこちらに来るとぼくの家に泊まっていました。東スポとアサヒ芸能の愛読者で、エロイ記事は子供たちに見せられるものではありません。自死の理由は定かではありませんでした)

★2016年秋、(株)ビオマーケットが京阪電鉄グループの傘下に入り、関君は代表権のない会長に就任する
(経営の好転が見通せない中、事業の継続と社員の身分確保、生産者との安定的取り引きを考え、売却を決断したのだと思います。初め不安がっていた生産者から、「関の決断は正しかった」の安堵の声がきこえてくるようになりました)

★販売グループの廃業が続いています。70グループあった販売グループは20位になりました
(続く経営状態の悪化、自身の高齢化、継いでくれる者がいない、小さなオーガニックマーケットのパイの取り合い…、とても、とても淋しい限りです)

それからのあひるの家は…… 1988~現在

★昭島市東中神に新店舗をオープン。あひるの家の宅配を開始
(青梅・KIVAが羽村店を、阿佐ヶ谷・結が早稲田通り店をと、各グループが競うように広がりをつくっていきました。あひるの家のスタッフはアルバイトを含めて15名程になり、月売上げは1300万円位になっていました)

★阿佐ヶ谷・結と合併して(株)CUEを設立
(4店舗・1宅配・1レストラン・スタッフ20数名・月売上げ2100万円。給与・手当・休暇など労働改善を優先し、全体ミーティングで決定していきました。大幅な経費の拡大は、売上げの伸張を期待してのことでした)

★中神店・早稲田通り店を閉店
(2000年に入り、売上げの伸びがとまり、減少に向かっていきました。2店舗を閉め、経費削減をはかっていきました。わずか2年余りの展開でした。その頃、あひるの家のスタッフ3名が九州の新展開へ向け、結の3名が退職していきました)

★(株)CUE解散
(何も為し得ないまま3年で幕を下ろしました。つくづく、ぼくは代表者にはなれても、経営者にはなれないんだということが身にしみてわかったのです)

★ジャックと豆の木閉店
(料理の評価は高かったのですが、経営的には難しく、八百屋さんの稼ぎをつぎこんできたのですが、それもかなわなくなったのです)

★(有)あひるの家はじまる
(1店舗・久美さん、長坂君、朱君、ぼくの4人スタッフの再スタートになりました。何ができる?何がしたい?)

★店舗改装
(キタナイ!アブナイ!あひるの家と言われていたので、何よりもスタッフが行きたい店、いたい店にしようということで、光風林スタッフと設計施工のお手伝いをさせてもらいながら、お気に入りができたのです)

★販売イベントはじまる
(青梅・小山製菓の店頭みたらし団子焼きをきっかけに、毎週末生産者・製造者・メーカースタッフなどが店頭直売をはじめる。この頃、たいやきやゆいもはじまり、「たいやき100年」ということもあって、週2回お客さんがむらがっていました。魚屋さん海野君の店頭うなぎ焼きも大好評で、「今週はなに?」とお客さんも楽しみにしてくれました。販売イベントスタッフもお客さんと直接話せたり、もしかしたら業界で噂になっているという「朱君のまかない飯はウマイ!」を楽しみにしていたようです)

★あひるの学校を開校しました
(生活をもっと楽しもう!ということで里夏ちゃん円ちゃんの2人が担当。2ヶ月に1度位の割合で開校。味噌づくり、豆腐づくり、パン作り、料理教室、畑収穫祭・・・・・・、お客さんとワイワイ言いながら作ったり食べたりのワークショップをドンドンいきます)

★直送野菜・果物にシフトする
(販売イベントなどで顔なじみになった方もいらして、「北原君の野菜おいしいわね」「章さんのお米ちょうだい」「井場さんのみかんは小粒だけど味が濃い」と、名指しで購入してくれるお客さんもふえています。あひるの家は物売りじゃなくて人売り(?)をしたいのですから、これからも人→物→金の順番でつながりをつくっていきます)

★(有)あひるの家の代表が交代しました
(2018年3月、朱君が代表になりました。朱君、里夏ちゃん、円ちゃんによる新しいステージで、久美さんとぼくはサポート役になります。新たに雇用されたぼくに、「70才になっても働けるところがあるなんて、有難いと思わなくちゃ」と、長いつき合いの税理士さんに言われた時はムカッ!ときたのですが、しばらくすると「そうだね」と思ったのです)

これでおしまいです。
同時代を過ごした人達に会いたいという想いがつのっています。
3日3晩ホテルを借り切って、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいいし、誰と話してもいいし、話さないで部屋に居てもいいし、マイクを1本用意しておいて今のことを話してもいいし、あの頃のことを話してもいいし・・・・・・、そう、陽だまりの公園の「広場」のような集いができたらと妄想しています。
自らに語り継ぐ物語があったと思っています。
「広場」は実現できそうにありませんが、『冒険物語』を書くことでそう思えたことを嬉しく思います。
読んでくださり本当にありがとうございました。今度はお店でお会いしましょう。