Author Archives: kano

畑だより ―年の瀬の野菜はおまかせください?!―

2週連続して催したキテレツファーム神田くん(八王子)けのひ農園北原くん(神奈川愛川)の店頭直売の際の野菜を見ても、どの野菜も見事に育って瑞々しく旨そうでした。
2人の百姓にとって、11年目の北原くん、4年目の神田くんにとって、この1年は大きな飛躍の年だったようです。
北原くんは近隣のお米農家や畜産農家とのつながりができて、物々交換がはじまり(例えば野菜・卵⇔鶏のエサにするお米・稲ワラ、野菜・卵⇔堆肥の原料となる牛フン)、在の人達とのつながりも拡がったそうです。
そんなつながりを紹介してくれた神奈川TVやタウン誌を観た人がお客さんになってくれたり、何よりも大きかったのが愛川町の給食に提供できるようになったことだと言います。
年間1,000万円の売上げというのは、百姓たちのひとつの目標なのですが、今年初めて超えそうだと嬉しそうでした。
そして何よりも、「ここ2~3年、野菜が安定的に育っているように思う。天候や技術や品目選定ということもあるけど、土ができてきたんだなあと実感するなあ。10年か~ぁ」と、しみじみと語っていました。
「課題は何?」と尋ねると、「ウ~ン、子育てかな。反抗期っていうのか、毎日バトルみたいで難しいもんだねえ、成長していくってことは」と、畑とは異なることに頭を悩ませていました。
4年目の神田くんは、安定とは程遠い状態(なにしろ、マンパワーが足りなすぎる)ですが、どの野菜も種を播いて、草取りや間引きをし、育てるところまでは出来るようになったと言います。
問題は収穫の適期に人手がなくて収穫できずに、小松菜が大松菜に、人参が人参木に、枝豆が大豆になってしまうことも多かったと言います。
それでも、地元のデパートから「地産地消」のオファーがあったり、学校給食からの引き合いがあったり、出荷している卸先からの流通で都心のデパート・スーパーにも並んでいるようです。
「課題は何?」と尋くと、「今は土作りと技を習得する時期なので、借りている畑を縮小することと、安定したマンパワーがほしいな。それと、今度2人目が予定されているのだけど、流産のおそれがあるということで妻が今家に居ないので、子供の保育園の送り迎えなど家事・育児にも追われ、結構バタバタな日々ですね」と笑っていました。
と、この2人を主に大根・キャベツ・白菜・小松菜・ほうれん草・春菊・かぶ・ブロッコリー・カリフラワー・里芋・八つ頭……豊富にありそうです。
お正月用三つ葉・ゆり根・セリなどは確認中です。
果物は、茨城かすみがうらの竹村さんからいちごが始まりました。寒さで色付きが芳しくないので、しばらく不定期の入荷になります。クリスマス前には安定してくると思うので、クリスマス予約受け付けます。今のところ農薬・化肥不使用で育っています(病気がでて散布するようなことがあったら、プライスカードに表示します)。甘酸っぱくて香りの良い、おいしいイチゴです。5月位まで続きます。
「こんなミカン食べたことがない!」と毎冬評判の瀬戸内海高根島の井場さんのミカン、今年もやってくれています。全体に小振り→超小振りですが、「これはウマイゼ!」と言っていただけると自信を持っておすすめします。
ただ唯一の不安材料なのは、ここもマンパワーがないので毎年みかん畑を縮小していることです。だから、いつ終了するのか見通せないのです(せめて年内あるといいね)。ある時に食べてください。
年内あと20日。積雪・大寒波は諦めるしかないですが、今の順調な成育が続くと年末野菜が足りなくなるのではないかと、いつもの事だけど気が揉めます。
「百姓の心構えで大切な事は、半分諦めて半分で一生懸命やる事だ」と言うことですから、百姓に連なりたいあひるの家も、あるがままを受け入れて年の瀬を迎えたいと思います。
本気寒くなりました。お体に気を付けて、あと少しです。

あひるの店先から ―年の瀬おいしいお届けしますお届けします―

今年もあと1ヶ月余りとなりました。
12月31日、今年も“あひるオリジナルおせち”をお届けすることができそうです。10年やってきた【みんなのおせち(笑月おせち)】をリセットして、全く新しいスタイルでみなさんに紹介することができました。
あひるのあひるらしさと言えば「つながりをかたちにする」ということなので、その集大成(?)を年の瀬にみなさんにお届けできるなんて、あひる冥利に尽きる幸せな気分です。
まずは、『たいやきやゆい』のはじめから10年余りのつき合いの由井君が、お店では出していない甘味6種を、技と気持ちを込めて作ってくれることになりました。予約でいっぱいのお店を閉めて、お正月甘味に力を注ぎます。
まだチラシも出来ていないのに、作れる数(30セット)の半分以上の申し込みが入ってしまっています。「由井君=ゼッタイにいいよね」の絶大な信頼は羨ましい限りです。
続いてお願いしたのは、2年余りのおつき合いになる韓国料理の玉ちゃんです。
毎週キムチは勿論チヂミやキンパなどの惣菜も楽しみにしてくれているお客さんも多く、そしてなによりも体型もふくめたふくよかな人柄は、「玉ちゃん」「玉ちゃん」と皆を魅きつけてやまないのです。
「やってみたかったのよ。韓国のお正月の家庭料理って紹介されることないでしょ。みんなに食べてもらいたかったのよ」
「わたしとしては是非やってみたいけど、お店(玉ちゃんの家)に帰ってスタッフの人たちと相談してみるね」
夕刻、「みんなに話したら大喜びで、バンザイした人もいたよ。年末はお店に泊まりこんでやる!と言ってる人もいたよ」ということで決定。
おせちラインナップを見ると、漁師直送の生かきや真鯛の姿焼きなど特別素材をふんだんに使いボリューム満点(玉ちゃん!採算考えてる?)旨そうなおせちになりました。玉ちゃんをはじめスタッフたちの前のめりな気持ちのこもった韓国家庭料理おせちを食べてみてください。
最後はフレンチシェフ小清水君の和洋おせちです。
由井君の紹介であひるを訪ねてきたのが6月でした。その後すぐ、富士見通りにある小清水君の調理場に行ってみました。1週間後、あひるスタッフ全員が揃っている時、小清水君が11種類の料理を持ってきてくれました。
最初に食べたのが【コーンスープ】で、口にしたとたんあひるスタッフ全員が「これはなんだ!こんなの食べたことがない!」と、驚愕と感嘆の声をあげたのです。
正直、コーンスープを口にする直前まで、あひるスタッフ全員が「フレンチなの?食べたことないよ。レストランにも行ったことないし」と完全に腰が引けていたのです。たった一口のコーンスープがコペルニクス的転回をおこしたのです。あと10種類の料理も、これまで味わったことのないおいしさでした。
サテ、このおいしさをお客さんにどう知ってもらったらいいのか、コペルニクス的転回にまきこまれたばかりのあひるスタッフに伝える力などある訳がないのです。それで、月1回小清水君が直接店頭で販売する事になりました。
24才の時、会社から「フランスへ行って腕をみがいてこい」と命じられ、3週間後に出発したのですが、フランス語は一言も喋れず状態なので生活も仕事も何も出来ず、毎日レストランのシェフからは「日本に帰れ」と言いつづけられ、泣きながら街の中を「1日10の言葉を覚えよう」と歩いたそうです。
仕事の上でも生活の上でもフランス語を喋れるようになったのは2年後で、その後2年計4年居たということです。
帰ってきてからは、都心のホテルやレストランのチーフシェフなどをやって、昨年「自分の住んでいるところでお店をやりたい」と退職・独立したのですが、コロナ禍でお店を開くまでに至っていないということです。
これまで「旨いものをガツンとガッと食べる」ということをしてきたぼくにとって、小清水君の料理の味は未経験のものでした。ガンヴァスに色を重ねるように手間をかけ手間をかけ、出来上がったものはシンプルでプレーンな味わい深いものになるのだということが少しわかったような気がします。この歳になって、こんな経験をさせてもらって得して気分です。新しい年に新しい発見から始められるかもしれません。
3人とのつながりを「おせち」というかたちで表現してみました。
たった10分の圏内の人たちと今年のおせちの企画ができたことを、あひるスタッフ全員が嬉しく思っているのです。皆さんも是非一緒に楽しんでください。

(狩野)

畑だより ―過ぎゆく夏の畑で百姓たちは―

店の仕事が終わって8時半、八王子キテレツファームの神田君のところに電話しました。
「丁度出荷作業が終わって、家に帰って飯を食べようとしているところです」
「今日も朝5時位から畑に出たんですよね。それでも間に合わないですよ。真夏とちがって昼もそんなに暑くないんで、つい休憩なしでやっちゃうんですよ」
「風呂に入っている時なんか、自分でもよく働くなあとしみじみ思いますね」
と明るく語る神田君の畑からは、カブ・小松菜・ルッコラ・ワサビ菜・サラダ春菊・ズッキーニ・リーフレタスなどが届きます。
大・小4つの畑をほぼ1人(ときどきお母さん、あひるのお客さん、友人の助っ人あり)で駆け回っている神田君。手が回らず枝豆をはじめいくつもの野菜の収穫適期をのがしてしまうこともあり、1~2の借りている畑を返そうと思っているということでした。
「まだ4年目なので、今は規模拡大じゃなくて、栽培の技を磨いていく時だと思うんですが……。それにしてもマンパワーがなさすぎですね」
そういえば、お客さんから「青山のナチュラルハウスでキテレツ見たわよ」「立川の伊勢丹にあったわよ」という話しをききました。「人伝てに頼まれると断れなくて」と言っています。
妻との約束の「月7万円を家に入れる」は滞っていて、「居心地が悪い」とのことです。どうしたらいいものかねえ?!
続けて電話した神奈川愛川町の北原君のところでは、「介護者がいっぺんに2人も出ちゃって、畑も忙しくなってきてるのにねえ」と、祥ちゃんが電話口に出てきました。
5日前に末っ子の柏君が、「たまにはゆっくりアフタヌーンティーを楽しもうか」と紅茶の準備をしている時、お湯をお腹と脚にかけてしまって病院へ。お腹も脚も見ているのも辛い火傷の状態になってしまい介護要。
3日後、めずらしく昼寝をしていた瞬君(夫)がどうしたことか起きあがれず、激しい腰痛・首痛・肩痛に襲われたのです。原因は思いも至らないのですが、ともかく「痛くて体を動かせない」状態になってしまったのです。
電話口に出てきた瞬君の声はとても元気でした。「針に行って少し良くなったようで、たまりにたまった経理をやってる」とのこと。
そんな北原夫妻からは、小松菜・ルッコラ・ラディッシュ・大根・里芋・四角豆・スティックブロッコリー・春菊・カブなどが届きます。
この夏のメイン野菜だったナス・キュウリ・オクラの畑は半分以下の収量で、それにともない収入も芳しくなかったということです。
鶏たちは7月中旬から夏バテになり餌を食べず、産卵率も90%→10%に激減。9月に入り40%位まで回復してきているとのことです。
「ほんとうに、続けていくってことは大変なんだなあと、しみじみ思いますよね。それにしても、40数年続いているあひるはスゴイなあと、寝ながら思ってましたよ」と、体調不良の瞬君の述懐でした。
北原君も神田君も年内1度はあひる店頭販売をやりたい!やる!とのことでした。
ようやくキャベツ・レタス・サニーレタス・リーフレタス・大根・白菜などの大型野菜が出てきました。蓮根・里芋・サツマ芋・ごぼうなど秋~冬野菜もはじまりました。
本来この時期メインの北海道野菜(じゃが芋・玉ネギ・人参・南瓜)が、極端な天候不順(干ばつと長雨と日照不足)で大不作となってしまいました。
1年に1作しか穫れない北海道の百姓たちにとって、この大不作(収入源)で困窮にたたされています。
天候不順によって野菜の形状(大きかったり小さかったり、先っぽが曲がっていたり、味ののりが今いちだったり)にバラつきがでてきていますが、許容してください。
果物は、刀根柿・富有柿・ひろさきふじ・千秋・秋映・紅玉・シャインマスカット・甲州・極早生みかん(これがおいしい!)と実りの秋です。
夏の疲れ、コロナ疲れ、季節の変わり目、体調にくれぐれも気をつけてください。

あひるの店先から ―夏に想う―

1977年9月5日月曜日、いまにも雨が降り出しそうな日でした。
ワゴン型の屋根をおおう真っ赤なシートはまだ届いていず、家の物置にあったゴザをリヤカーに積んで出発したのです。
最初に伺ったのは中区1丁目の線路沿いにあるイトーピアマンションの細野さんの処でした。
着いたのはいいけれど、リヤカーをどこに止めたらいいかわからないし、ウロウロしていると管理人さんとおもわれるご夫婦が出てこられて、細野さんに連絡しれくれることになったのです。おまけに、通行の妨げになるからとエントランススペースにリヤカーを引き入れてくれ、更に館内放送を使って「無農薬野菜の八百屋さんが来てます」とアナウンスまでしてくれたのです。細野さんがお友達を誘って買いに来てくれました。
が、野菜の値段がわからないのです。「納品書」がついてこなかったのです。
管理人さんに電話をお借りして流通センターに問い合わせ、それをメモしておよそ7掛して値段を出したのです。
ところが、今度は計算が出来ないのです。
2kgの台量りを持っているのですが、あの頃電卓はなかったので、暗算でやるしかないのです。長ねぎ100gで37円、470gでいくらなの?野菜の入ったダンボールを引きちぎって、37×470とやる訳です。人参もじゃが芋も玉ねぎも全てこれですから、3~4品を計算するのに10分位かかったのです。3~4人のお客さんが買い物を済ますのに1時間位かかりました。
その日は連絡をもらった10件位のお宅に伺う予定でした。2~3人は留守で、途中から雨が降り出し、野菜の上にゴザをかけても濡れるばかりでした。雨具など用意していなかったので、全身ビショヌレです。時間も大幅に余ってしまい、中区1~2丁目あたりをリヤカーでグルグル回っていました。時々通りかかる人がいないのを見はからって「ヤオヤ~、ムノーヤクノヤオヤ~」と声を張りあげてみるのだけど、雨音にかきけされ家に居る方に届いていないようです。でも、それがほっとする気分でもあったのです。
そんな、それまでの人生の中で一番心もとない一日だったと思います。こんな、心もとない佇むような常態の日々が2~3ヶ月続いたのです。
そもそも、「有機無農薬の八百屋をやる」ということに無理があったのです。「有機農業」にも「食の安全」にも「商売」というものにも関心がなかったからです。
あったとすれば「リヤカーを引いて街にくり出す」というパフォーマンスのイメージだけだったと思います。それは「有機八百屋をやる」という要素とは全く別のものでした。だから、はじまってから「有機八百屋」という要素から逆襲を受けたのだと思うのです。
それでも、2~3ヶ月の間に少しずつ関心が広がっていったのです。「有機農業に関心はなくても、作っている人の中に面白い奴がいる」。元々料理は好きなので、「この野菜うまいな」と思うようになり、週末一週間分の売上げをテーブルの上にまいて、子供達と10円玉の山、100円玉、1000円札を積み上げ、支払い分を取り除いた分を数えるのです。「先週よりスゴイよ」なんて子供達に言われると嬉しくなるのです。
そうこうしている間にまたたく間にリヤカー八百屋がふえていき、豆腐屋やパン屋やコンニャク屋や百姓たちとの出会いがあったりしたのです。出会った分だけ物がふえる訳ですから、その出会いのことを話しながら売ることはとても楽しいことでした。そして、また気付くのです。
「ネットワーク(仲間)を拡げよう。それをやろう
仲間たちとグループ(ポラン広場)つくり、本格的にネットワークづくりにのりだしたのです。20年余り、ネットワークづくりがぼくの主たる仕事でした。
40数年が経ち、つくづく「有機八百屋をやる」という主要素よりも、「リヤカーを引く」だとか「ネットワークを拡げる」だとか「つながることを楽しむ」という副次的要素に関心があったのだと思います。
最近、店先にいると「今の仕事どうしようかな?」「何かもっとフィットできるものないかなあ?」「悩むなあ~」という声をよくききます。
昔とちがってネットで検索すると転身・転職情報がたくさん紹介されています。条件など記されていますが、それはぼくの言う主要素だと思います。もしかしたら、副次的要素や隠れた要素の中に、自分にフィットするものがあるかもしれません。
それを見つけられるかは、もっと近づいてみるか身を置いてみるしかなく、そこに至る道は自分でつくっていくしかない訳です。
百姓が百のつながり(稼ぎも含めて)の中でやっているように、ひとつの手立てだけではなく、いくつものつながりの中でやっていけば暮らしていけるし、生きていけるのではないかと思うのです。
そんな事を想う夏です。

(狩野)

※あひる通信に連載した『あひるの家の冒険物語・全17話』お読みになりたい方はおっしゃってください。

畑だより ―突然ですが、暑(熱)さが襲ってきました―

「きのう眠られた?」「食べられてる?」というあいさつからはじまる日々がやってきました。
2年前、全く自覚がなかったのに突然体に力が入らなくなって、自転車で3回転び、食欲が全くなくなり、「一体何がおこったんだ?!」と不安な気持ちでいっぱいでした。たぶんあれは熱中症だったのだと思います。
だから、夏のスタートのこの時期、慎重になってしまいます。
その時食べて少しずつ体の力を取り戻してきたような気がしたのが果物でした。
まずは西瓜です。大玉(千葉山武)小玉(青森木造)どちらもこの暑さで甘さがまして、シャリシャリした食感が抜群です。
次は山梨一宮・久津間さんの桃。いまいち小ぶりですが、甘いです。甘酸っぱくて評判なのは、栃木・浜田さんのブルーベリー。ただし、暑さが続くと過熟してしまうので早期終了となります。
そして、桃とすももをかけ合わせた、蜜のあふれる貴陽(山梨・久津間)、メロン(千葉銚子)、パイン(沖縄石垣島)、ネットリ甘いネクタリン(山梨・久津間)、ブドウ各種・プルーン(山梨・勝沼平)、まもなく夏みどり・夏の紅・祝と青りんごが青森弘前・伊藤さんからはじまります。
一年で一番果物の豊富な季節です。食欲がおちても果物だったら何とかなるでしょう。甘味と酸味と口あたりが夏向きです。
そうはいっても食わなけりゃなぁ、と野菜です。
どの畑からも、とまと・きゅうり・ナスがSOSです。朝晩とらないとドンドン成長するナス・キュウリ、ドンドン赤くなるとまと。八王子キテレツファーム神田君、神奈川北原君の「タノム!」の声も上ずっています。
おすすめは栃木・鈴木章さんのロロン南瓜(章さんにきいても、ロロンって何だ?ということはわかりませんでした)。形状は万次郎南瓜のように円錐形なのですが、ホクホク甘く、煮ても焼いてもウマイです。
野菜は今のところ潤沢です。ただし、葉物類(レタス・キャベツ・ほうれん草・小松菜など)や、大根などは中間山地(山梨・群馬、標高500m前後)に移行し、まもなく高原(長野、標高1000m前後)や青森・北海道にシフトします。
平地の神奈川・北原君や八王子・キテレツファーム神田君の畑では、終了に向かっています。
2人からはコリンキー(サラダ・漬物)・ビーツ(ポタージュ・スープ・サラダ)・ケール(炒め物・ジュース)・モロヘイヤ・ツルムラサキ・白丸なす・バジル・サンマルツァーノトマト(加工用トマト)・ハラペーニョ(辛い!辛い!)・青とうがらし(辛い!)・空心菜(炒め物)など、新しかったり珍しかったりの野菜が入荷しています。目先をかえるのもいいかもしれませんね。
ともかく、眠る!食う!です。

畑だより ―新種発見?タマゴの黄身が白いのは?!―

先日お客さんから「タマゴの黄身が白かったんだけど、だいじょうぶなの食べても?」という問い合わせがあったので、即高田さん(栃木・平飼い・自家飼育養鶏)に連絡をしました。説明が長く要領を得ないので、要約して文章で伝えてくれるようお願いしました。
その間、自分のところでもタマゴを割ってみたら白いというより黄身の黄色が相当薄いものがあり、ゆで卵にしたら白さがましていました。
届いた文面には2つのことが記されていました。

①飼料
一般には黄身の色を出すために、トウモロコシやパプリカ色素の粉末を混ぜた配合飼料をあげているのだけど、私のところでは栃木の3軒の農家に大麦・小麦・米を作ってもらってそれがメインなので、ほとんど黄身に黄色はでません。だから、マリーゴールドというハーブを混ぜて黄身の色を出しています。
それでも、色のベースとなるルテイン色素は入っていないので、市販品のようにはなりません。栄養価がちがう訳ではありません。

②暑さ
毎年6月の梅雨時わたしたちもそうですが、羽毛をまとっている鶏たちはバテて水ばかり飲んで、餌を食べる量が減ってきます。鶏舎内に大型扇風機を何台も設置して、風の通りを良くして体温を下げるようにしています。
でも体が慣れるまで、食べる量が減った分だけマリーゴールドの摂取も少なくなるので、黄身の色が薄くなってしまいます。
この農場はひのき山という少し標高の高いところにあるので、朝晩は涼しい空気に包まれます。体が慣れて湿度が下がると元に戻ると思います。
海外では高タンパクの濃厚飼料に頼らない飼育が広がって、「黄身の白いタマゴ」が出回りはじめているとききます。見慣れないので「ギョッ!」とするでしょうが、食べてダイジョウブなのでご理解ください。鶏たちもガンバッテいます。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

夏果物、本格始動です。
なんと言ってもあひるの家No1のおすすめは、山梨一宮・久津間さんの桃です。甘味も香りも口あたりも格別です。ただ、日照が少ないので小さ目が多いです。
青森弘前・りんごの伊藤さんからさくらんぼ各種・ブルーベリー・プルーンがはじまりました。りんご以外の果物も作ってみたいということなのでしょう、おいしい上で格別の安さです。りんごは7月中~下旬に【夏みどり】【夏の紅】【祝】の青りんご系がはじまります。
40年来のつき合いの栃木・浜田さんからはブルーベリー入荷中です。ほろよい甘味と酸味が大好評で、冷凍して食べてもおいしいです。
同年代の浜田さんは、海外放浪から帰って来て、「ほかの奴がやってないことをやろう」とその頃珍しかったブルーベリーの有機栽培をはじめたのです。この世代変わり者が多いですよね。でも、息子たちが継いでくれているのでヨカッタヨカッタです。
メロン・甘夏・河内晩柑・すもも(山梨・大石早生)・ガラリ(奄美大島・野生種のすもも)・パイナップル(沖縄)・バナナ・アボカド・小玉西瓜と出揃っています。

夏野菜、本格始動です。
夏といえばとまとです。栃木鹿沼の田島さんがメインになります。安くなります。
鈴木章さんから毎年大好評のホクホク甘い南瓜が出ます。「なんで栃木の南瓜がうまいんだ?」ときいても「わかんないよ。気のせいじゃないの」と謙虚です。
朝4:30~夜9:00まで働き続けている八王子・キテレツファーム神田君(32才)からは、トウモロコシ・キュウリ・枝豆・ズッキーニ・キャベツ・ビーツ・ナス・モロッコインゲン・インゲン・じゃが芋・玉ねぎ・人参などが入荷中。「今まで食べた中で一番ウマイ!」と好評なのがじゃが芋・ズッキーニ・キュウリです。
子育てを含めてフル回転であひる店頭販売イベントに来られなかった神奈川愛川・北原瞬・祥ちゃんからは、ナス・キュウリ・大根・ズッキーニ・コリンキー・人参・じゃが芋・玉ねぎ・モロッコインゲンが入荷中。どちらからとったらいいのは悩ましいです。
ケール・モロヘイヤ・ツルムラサキなどの夏の葉物もはじまりました。雨-晴-雨-晴、畑の野菜はグングン育ち、販売は苦戦しています。
ともあれ、本格的な夏が始まりました。

これでおいしい魚が食べられる!『海野水産あひる支店』7年振りに店頭直売はじめます

6月から毎月第2第4日曜日昼、海野水産4代目海野マサトヨくんが旬の魚貝を販売がはじまりました。
前回13日(日)あひるデビュー戦ではやや緊張の面持ちで、それでも誠実な接客はお客さんにも評判がよく、「次回はもっとたくさん魚を持ってきます!」とやる気十分で帰っていったマサトヨくん。さて、2回目となる27日(日)のお魚は~、明日の朝出発ギリギリまで考えて捌いてくるので、今日の時点ではわかりません。正午~あひるの家で待ってまーす!
※第1土曜日・第3日曜日は直送となります

「海野水産の持ってくる魚貝がおいしい!のはどうしてなの?」海野君(兄・和豊)にききました

青梅にある海野水産の朝は早いです。朝4時頃に豊洲に向けてトラックを走らせるのが1日のはじまりです。
豊洲には500軒あまりの水産仲卸業者さんがいて、みんな勢いよく「ウマイよ!安いよ!とれたてだよ!」と声を張りあげ活気があります。
どれも良さそうなのですがグッとこらえて、全部見て回るようにしています。「これを買わなきゃ」「あれを揃えなきゃ」と決めないようにして、「いい物があったら買おう」と思ってひと巡りするのです。そして、「あそこはよさそうだな」と目星をつけたところに行って吟味するのです。
さて、ここからが魚屋の腕の見せどころ、ようするに目が利くかどうかです。豊洲だからいい物ばかりということはなく、散々してやられました(魚屋としての修行が足りなかったのですが)。
ポイントは4つあります。
①漁の仕方はどうなのか?
巻き網→定置網→引き網→一本釣りの4つがあって、どの方法でとったのかで魚の傷つき具合がちがってきます。
②運び方はどうなのか?
水氷箱→下氷箱→活き箱の3つがあって、大量の魚を水氷箱に入れて運べば一匹あたりの値段は安くなりますが、身がつぶれて腹わたから傷んできて、鮮度の劣化が早くなります。
③いつとったのか?
市場や漁港がよくやるのが止め物(ヒヤモノ)といって、相場(天候とか)を見て止めておいたものを出してきます。“ミョウバン”を入れてピーンと鮮度良く見せる手もありますが、目を見るとわかります。あと、“朝どり”か“昼どり”のちがいもあります。
④指定物を見つけられるか?
高級料亭などは漁港と直接やりとりして運ばれてきます。10匹中7匹が指定物で、3匹は残ります。仲卸は利益確保しているので、安く出してきます。これを見つけるのが楽しみなのです
それ以外にも例えば、9月中旬のこの時期ならこの港にあがったサンマが旨い!ということもあります。
そんなことを頭に入れながら、限られた時間で市場を回るのは、とてもエキサイティングで魚屋冥利につきます。いい物を仕入れられた時は「やったね!」と気分も爽快で、車のスピードもあがります(この間キップを切られましたけど)。
この1年余り、コロナ渦で市場も魚屋も大ダメージを受けました。「どうしたらいいか?」と苦慮している時、この話しがありました。
ぼく(兄・和豊)も10余年毎週日曜日あひるの家の店頭で販売させていただきました。その経験が今のぼくの礎になっています。
今度は魚屋2年目の弟のマサトヨがお世話になります。魚屋としては未熟ですが、一生懸命やると言っています。よろしくお願いします。
7月下旬『うなぎ店頭焼き』の時はぼくも行きます。お会いできるのを楽しみにしています。

【有機青梅】ご予約承り中

あひるの家販売ランキングbest3にいつもランキングしているのが、王隠堂さんの【梅干】です。「この梅干おいしいのよね」と、まとめて買っていかれる方が何人もいます。たしかに塩もいいし、しそもいっぱい入っているけど、やっぱり梅が旨いんだと思います。
奈良・西吉野の山中、標高400mのところにある王隠堂さんの梅林の土は、ふっかふかであったかそうです。それと、王隠堂さんの家はその名の通り、南北朝時代後醍醐天皇をかくまったことで名字帯刀を許された由緒ある家系で、その頃から梅を栽培していたそうですから、もう歴史的産物ということになります。歴史と時代が合体した産物が、王隠堂さんの梅です。
子供が大好きな梅ジュース・梅シロップ漬けは、作るのカンタン、1ヶ月位から飲めるので、この夏中楽しめます。大人が大好きな梅酒も作るのカンタンというか、ただ焼酎と梅を合わせるだけみたいなもんです。3ヶ月位でおいしくいただけます。
誰もが顔をしかめながら、それでも1年中食べている梅干は、ちょっと手間がかかりますが、その分自家製梅干は旨いです。夏を越えた頃から食べ頃になります。
只今漬け方レシピ配布開始。「な~んだ、これならわたしにもできる」と思った人、ご注文ください。期間はわずか2週間、1kgからやってみよう。

【有機青梅(梅酒・梅シロップ用)】 1kg 1,750円 入荷期間:5/31(月)~6/12(土)

【有機青梅・南高梅(梅干用)】 1kg 1,750円 入荷期間:6/14(月)~6/26(土)

ともに奈良・王隠堂農園からで、栽培状況は認証有機農産物。

※お渡し希望日の1週間前までにご注文ください
※【ポラーノの砂糖 洗糖】【玄米焼酎35度】【もみしそ】【海の精漬物塩】【カンホアの塩】などもご一緒に承ります

畑だより ―豆・サヤの季節がやってきた―

栃木鹿沼の鈴木章さんの処は田植え→麦刈り→田植え、その間に牛の世話と畑と大忙しの毎日です。
以前は田植え時期は村人総出で田んぼに出て、手助けし合いながら、昼には畦道に弁当を広げお喋りしながら食べたそうです。
中には酒を飲みはじめる奴もいて、「しょうがねえな。寝かしとけ」と皆でその家の田植えをやったそうです。
今は半分以上が、会社のネームプレートの入った作業服を着たトラクターを動かしているだけで、村人の姿はほとんど見かけなくなったということです。
「葬式もそうだけど、それはそれで大変な事もあるけど、隣り合わせでここで暮らしているんだという実感が持てたよな。今は村祭りをやろうという人もいなくなって、淋しいなあ」と、70才を過ぎた章さんとマツさん夫妻がポツンと田植えをしている光景だそうです。
そんな田植え麦刈りの合間をぬって、インゲン・キヌサヤ・グリーンピース・空豆・カリフラワー、少ししてニガウリなどが送られてきています。
八王子キテレツファーム神田君の畑では、大きく育った葉付き大根・アスパラガス・ズッキーニ・スナップエンドウ・ブロッコリー・スティックブロッコリー・サラダ春菊・レタス・サニーレタス・リーフレタス・ルッコラ・小松菜と、充実のラインナップです。
あひるの家のお客さんで「畑をやってみたい」という2人の若者が、週1回行って収穫・洗い・袋詰めなどをお手伝いさせてもらっていますが、普段はお母さんと神田君の2人。一体どんな働きをしているのか見当もつきません。
2人の助っ人はキテレツの帰り道お店に寄ってくれて、今日のお駄賃の野菜を見せてくれます。
「ズッキーニがあんな風になってるなんて知らなかった」と嬉しそうで、表情は晴々としているのです。
6月中~下旬、『キテレツファームでピクニック』を催すつもりです。たぶんトウモロコシ狩りです。
神奈川愛川町のけのひ農場の北原君の畑からは、大根・長ねぎ・新玉ねぎ・ミサキキャベツ・葉付き人参・小かぶ・ケール・ルッコラ・小松菜などが入荷中です。
なすを除いて、トマト・きゅうり・ピーマン・赤lピーマン・パプリカ・ししとう・オクラ・ベビーコーンなど夏野菜が揃いはじめています。
果物は、いちご・レモンが終了し、りんごもそろそろオシマイで、甘夏・河内晩柑・グレープフルーツ・バナナ・キウイフルーツ・時々アボカドはありますが、新しくはビワ・小玉西瓜で、メロン・サクランボはもう少し後になります。
そして、6月から約1ヶ月にわたって、梅とらっきょうが始まります。作り方などを紹介した注文表を配布中ですから、「やってみようかな」「今年もやろう」と思った方はご注文ください。1週間前が確実です。
いつもそうなのだけど、元気だしてやりましょう。

 

あひるの店先から

先日おふくろが亡くなりました。96才でした。
43年前、おふくろとおやじは短い間だったけど国立に住んでいたことがありました。丁度その頃、私が勤めを辞め“八百屋”をはじめた時でした。
おやじは「なに!八百屋だって!それもリヤカーを引いてって、なんなんだ!子供が2人もいるのに」と怒って、しばらくの間“出入禁止”になってしまいました。
はじめた私自身「なんでこんなことはじめたんだろう?これからどうするんだろう?」と思っていたので、全く説得力はありませんでした。
おふくろもきっと同じ気持ちだったのだと思いますが、おやじの目を盗んでよく手伝いに来てくれました。
特に朝、野菜の到着が遅れるとリヤカーに積み込んで出発するのに精一杯で、片付ける手間がありません。放りっぱなしの野菜を倉庫にしまったり、周りをはいたり、干しきれなかった洗濯物を干してくれたり、時々昼食用のおむすびを握ってきてくれたりしました。
片付けが終わるとお茶をいれて、レコードをかけてひと休みしてから家に帰っていったとのことでした。
この時のことを俳句や文章にして、新聞などに投稿していたようです。
埼玉に引っ越し、おやじが亡くなり、20年余り姉と孫との3人の暮らしが続いていました。
4ヶ月前位に突然身心の不調が生じ、老人施設に入所しました。この時、3人の間で深いわだかまりが残りました。コロナ禍もあってなかなか面会もかなわず、わだかまりが積み重ね合っていきました。
3月末「肺に水がたまって体のむくみもヒドイ」と連絡があり、施設スタッフとともに呼吸器専門病院で診てもらったら、「水を抜きましょう」ということで入院することになりました。
ところが、病院の事情で待合室で6時間も待たされることになったのです。近くのスーパーからのりまき・おいなりさん・お茶・アイスクリーム・お菓子などを買ってきて食べたのです。
同行してくれた施設スタッフが驚く程よく食べ、よく喋り、表情も穏やかで、「こんなに世話になってありがとうね」「元気になって家に帰るからね」「たくさん食べて元気になろうね」と、3人の会話が弾んだそうです。
その夜は普通に寝たのですが、翌早朝意識混濁におちいり亡くなったのです。
あの不測の6時間“最後の晩餐”は“天の采配”だったのではないかと思うのです。
あれから2週間、夕方お店の電話が鳴ると、「ウン?そうか」と思うことがあります。夕方よく電話をかけてきたことを思い出すのです。

(狩野)